もちもちもち/大塚智穂

年末が近づくとソワソワする。

それは師走というだけではなくて、単純に「やらなくてはいけないこと」がググっと増えるからだ。私の実家は豆腐屋で、年末の豆腐屋はとくに忙しい。子供の頃の記憶だと、年末はすき焼きを食べる家が多いらしく、朝から晩まで焼き豆腐を焼き散らかす母ちゃんのうしろ姿が思い出される。今でも焼き豆腐はよく出るが、昔と違って元旦から大型スーパーも営業しているので、三が日分の買い出しが必要なくなった今、子供の頃ほどの忙しさではなくなった気がする。とはいえ、今でも31日の夕方まで豆腐の製造からおせちにいれられる惣菜も一から作っているため、何だかんだと忙しくしているはずだが、母ちゃんにはまだ他にやることがある。

実家には1度に2升(20合)つきあがる餅つき機がある。

今活躍している餅つき機は3台目だ。

毎年、年末のクソ忙しい時期、我が家の餅つき機は母ちゃんによって酷使される。連日、連続で2升サイズの「のし餅」をつき倒す。毎年母ちゃんには『餅屋になるんか?』と言っているがそんなのお構いなしに家業の合間を縫って「のし餅」を製造する。そして、いつもお世話になっている人達にあげまくるのだ。

今年も相変わらず餅をつき倒していたので、どれだけ作っているのか聞いてみると「分らない」という。1日に2升を3~4回連日回し、できた餅は片っ端から配っているので、もはや分らないということだ。1枚で渡すときもあればカットして渡す場合もある。そして、カットしてできた形のバラバラな端っこの餅たちは、店のフライヤーで揚げ餅に変身し、連日母ちゃんが食べまくるので、冬は餅だけでなく母ちゃんも膨れ上がるのだった。

そんな母ちゃんを見て育ったお陰で、年末、実家に帰る(豆腐屋が忙しいので年末は必ず帰っている)間際には、お世話になった人達におかしやパンを作っては挨拶回りをしていたが、去年からは餅もつくようになった。我が家の環境では2升もつけないので、6合のもち米を蒸し器で蒸し上げてから家庭用のニーダー(パン捏ね機)でつく。そして、小さめの「のし餅」にするのだ。帰省の間際にバタバタと作りまくり、ギリギリに配り回り、1人で車を運転して実家に帰り、年末の豆腐屋に参戦するという、バタバタした年越しを今年も無事にやり終えて、帰りのフェリーでこれを書いている。もちろん土産には、母ちゃんの餅がしっかりと持たされたのだった。

大塚 智穂

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