私はネイティブ・関西人/山本佳奈子

 那覇市に引っ越して、丸2年が経った。沖縄では、一切関西弁をしゃべっていない。もちろん、地元に帰ればコテコテの関西弁を話すことができるし、自分の母語は関西弁である。しかし沖縄では、我ながら流暢な標準語を操ってしゃべっている。たまにタクシーに乗ると、「どこから来たんですか?」と聞かれ、「いや、沖縄に住んでるんですよ。大阪から来ました」と答える。そうすると、タクシーの運転手はだいたい「関西弁のイントネーション、出てないですねえ!」と感心した様子で私に言ってくる。私は、関西弁のネイティブでありながらも、第二言語として標準語をマスターしたのである。

 標準語に関しては、那覇にやってきてから習得したわけではなく、かつてコールセンターでアルバイトしていた時代や、八丈島のホテルで数ヶ月間働いた時に身につけた。関西人が標準語を話すコツは、自分にもうひとつのキャラクターを憑依させることである。天神橋筋商店街を歩いている時の自分とは別人格を自分の中に携える。大阪の立ち呑み屋で隣のおっちゃんとしゃべっているときとは違う自分を、こしらえる。自分と別のもう一人のキャラクターをつくることで、関西弁を話す自分から脱することができるのだ。

 私は小学校2年生ぐらいの頃から親に米会話学校に通わされ、それなりにアメリカ英語には強いのだけれど、英語を話すときもそうである。関西弁をしゃべる自分とは違う、英語を話す自分の新たな人格を憑依させる。良く「英語をいちいち日本語訳で解釈していては話せるようにならない」と言うけれど、それは正解だ。こうきたらこう返す。その流れを掴んでいき、会話の流れに乗っかっていく。母語以外の言葉を話せるようになるポイントは、そこだと思っている。

 稀に、関西の友人が沖縄にやってきて、沖縄の友人と関西の友人を交えて三者での会話を行なうときは、私の脳の中は大忙しになっている。関西人の友達には「やんなー」(標準語:だよね)と言いながら、沖縄の友達には「超おもしろかったよね」(関西弁:めっちゃおもろいよなあ)。三者の会話だったつもりが勝手に一人二役を買って出て、四者以上の会話になっているのである。

 そんな大忙しの脳切り替え作業をしてでも、私がなぜ関西弁を沖縄で封印しているのか。それにはちっぽけな理由が存在する。沖縄にて生活しているなかで、たまに街で耳にする関西弁の会話が怖いのだ。

 以前、沖縄が世界に誇る水族館、美ら海水族館に行ってみた時のこと。関西からやってきたと思われる修学旅行生たちをまとめている先生が大声で叫ぶ。「ええか。ここ、閉館○時やから、○時までには△△に集合や。遅れたらバス乗られへんからな。遅れた奴、先生ら置いてくで。ええな、わかったな!」喝を入れられた中学生たちは続々と美ら海水族館のゲートをくぐっていく。少し離れたところから客観的に見ていると、怖いのだ。周りが非関西弁の環境に慣れきっていると、久々に聞いた関西弁は凄みがある。先生、ヤクザかよ。しかし先生の表情は、まったく怒っていなかったのだ。思い出してみれば、大阪では一般的な言動であり、普段から目にする光景だった。

 また、バーなどで関西弁を耳にすることもある。こっそり他人の関西人の会話を聞いているなかで大抵当てはまるのは、関西人の会話はだんだんクレッシェンド(音楽記号で言う“徐々に大きく”)すること。そして、会話が盛り上がるにつれて抑揚も激しくなることが特徴である。音程が非常に豊か。そして、概ね「こうきたらこう返す」のやり取りで会話が成立するため、「ここぞというときに言った一言が聞こえんかったらアカン」という思考が働き、徐々に大声になりがちなのだ。店全体の雰囲気を関西色に染めていく関西人客。そういう現場に出くわしたときは、「あ、私は関西出身じゃないです」というオーラを出しながら、ひっそりと息を潜めてお酒を飲んでいる。

 しかし、やんわりと沖縄の友人に言われて気づいた私の失敗がある。関西弁イントネーションを完全封印し、「関東から来られたんですか?」と聞かれるぐらいの標準語を操っていた私でも、大失敗を犯していたのだ。しゃべる言葉は標準語でも、会話の構成が関西らしい。つまりは、標準語をしゃべってはいるものの、関西的な「こうきたらこう返す」をちゃっかり会話において続けてしまっていたのだ。やんわりと伝えてくれた沖縄の友人には、こう言われた。「山本さん、その一言、キツイ」と。

 まったく無意識であったのだが、私は標準語でしゃべりながらも、ちょこちょこ痛烈なツッコミを挟み込んでいるらしい。沖縄の人たちの会話というものには「ボケとツッコミ」制度は存在しないので、話にオチが付かなくてもいいし、ゆるり、ふわりと流れる会話で十分なのである。現に、沖縄に引っ越してから、沖縄のラジオでDJたちのトークを初めて聞いたときは驚愕した。以下に例を示す。

例)

「今日は大雨だったね〇〇さん」

「そう、雨の日はでーじ渋滞するからさ、今日は遅刻しちゃったさ」

「でもあんまり急いで運転したら危ないからね、バイクはスリップも多いし」

「だからさー」

 これで、次の話題に行くのである。関西人としては「え、オチ付けんで良かったん?」と戸惑ってしまう。

 では、上記の会話が関西で繰り広げられたらどうなるか。

例)

「今日大雨やったなあ、〇〇さん」

「せやで、雨の日は渋滞するやん。ほんで今日遅刻してもうたわ」

「急いで来て事故に遭う方が怖いがな。バイクもようスリップするし」

「ほんじゃ雨の日は遅刻してええゆうことにしたらええやんな」

「いやそういう問題ちゃうで、家はよ出たらええやん」

 関西弁の場合は、4段目では終われないのである。もう一歩踏み込むのである。話の決着を見るために。

 上記例からいくと、私は、「いやそういう問題ちゃうで」にあたる軽い「ツッコミ」を、標準語で実行してしまっているらしいのだ。関西のイントネーションは消すことができても、関西の会話構成を葬り去ることはできず、いかに話を膨らまそうか我が脳が勝手に考えていたらしい。私が標準語で放つ、「それってそういう問題じゃなくない?(笑)」「あの人、相変わらずだよね(笑)」などという言葉の、「(笑)」の部分が、沖縄では通じていなかったらしい。「山本さんが批判してましたよ」と、なり兼ねないのだ。

 他人の非や失敗を愛情たっぷりにあらためて取り上げ、笑いに昇華する。そうすることで、そのミステイクを成仏させる。関西弁のツッコミにはそういう作用があると思っているのだが、これは関西独特の言語文化。イントネーションはごまかすことができても根本的な会話のつくり方

がさっぱり変わっていなかった自分は、関西言語文化の実践者であったようだ。沖縄ではもうちょっとソフトなツッコミに置き換えて会話構成を考え直そう、と反省すると同時に、いくら沖縄の水を飲んでもやはり我が関西人の血は変わらないということを思い知る。どれだけ逃げても追いかけてくる関西人遺伝子の戦慄。狂気。愛おしさ。

 ちなみに、ウチナーグチと呼ばれる沖縄の言葉にも、どうもイントネーションだけでは使いこなせない言葉がいくつかある。例えばそのひとつは「だからさー」。上記例にも採用したが、これは、ここぞというときにしか出てこない言葉なのである。関西弁で言うと、ある程度掛け合いを済ませた最後に登場する「ほんまそやねん」という感じか。いや、少し違う。「だから」の意味は英語で言うSoに変わりないのだが、「さー」が付くことで、複雑な意味を持たせる。言葉は「だからさー」の一言で終わるが、そのあとに何か続きそうな意味を持っているのである。「だからさー(続:あれあの人にはできないって言ったのに)」「だからさー(続:私もそう思ってたのに)」といった塩梅だ。もしあなたが沖縄旅行に来たときに、沖縄の人から「だからさー」を聞くことができたなら、ラッキーだ。なぜなら、本当に稀にしか出現しない、感情のこもった言葉であるから。その後に何かを含んでいるぼんやりとした言葉なだけに、究極のタイミングで登場するのだ。

 けれども、先日大阪の友人が那覇にやってきたときのこと。その友人と、沖縄の友人が久々に那覇で再会し、それぞれの言語、つまりは関西弁と沖縄方言(現在の若者はほとんど方言を使わないがイントネーションは沖縄っぽさが残る)で会話をしているところを聞いた。ごく自然に両者の郷土言葉で楽しそうに話す二人を眺めていると、沖縄でそんなに関西弁を隠す必要ないかもしれないな、と思った。夢は、いつか沖縄で、クレッシェンドしすぎず怖くない、クールな関西弁を操る関西人になることである。

写真:写真は石垣島の市街地に立つ標。石垣島と沖縄本島は約400kmの距離がある。

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