ドンドロ浜商店繁盛記8/小坂ひとみ
ゆうさんが死んだのは、2016年の芸術祭の秋会期がはじまって4日目のことだ。
大きく突き出たお腹に、ギョロリとした目つき。舌はベローンと口からはみ出しのたくっている。
甲生地区に引っ越しをして初めてゆうさんを見かけたとき、正直言って怖かった。パンツ一丁の姿で手には長い銛(もり)を持ち、そんな表情で原付を乗り回しているのだから、恐怖の感情がおのずとわき上がってきてしまうのも仕方がない。「絶対に絶対に関わらないようにしよう…!!」と心の底から思っていた。
ひょんなきっかけがあり、ゆうさんと初めて話をしたのは2016年の春先だったか。
なんの違和感もなく自然と、よくある世間話ができたことに驚いたのを覚えている。しかも興味のある話題のときのゆうさんの目はキラキラと少年のように輝いていて、ちょっとだけ可愛かったのだった。
それから私たちは少しだけ打ちとけ、ゆうさんはたまにドンドロ浜商店におにぎりを食べに来てくれるようになった。
「おにぎりあるん?」
とてもよく通る大きな声でそう言いながら、たびたび玄関先に姿を見せた。
おにぎりがあるときはそのまま店にあがって食べていき、売り切れてなくなっているときはちょっとうらめしそうにジットリとこちらを見つめ、無表情で帰っていく(迫力があってすごく怖い)。
口元に麻痺があるのにがっついて食べるから、しょっちゅう味噌汁や素麺にむせてしまうのが厄介ったらなかった。ゆうさんが帰ったあとの畳やトイレの床が汚れていてげんなりしたり、咳き込んで素麺を吹き出しそうになっているのを別の席にいる観光客が見つめていたときは、ぜんぶ放り出してその場から逃げたくなった。
注文したおにぎりを寝っころがって頬張りだして、その場にいた島民のおじさんが見かねて注意していたこともあったっけ。こちらがどれだけハラハラしたって、人の目なんてまったく気にする様子がなかったのだが、そんなゆうさんに徐々に慣れてきたら、そこがなにより独特の味があって面白いところだと思えてくるのだから不思議なものだ。
じつはパチンコがめちゃくちゃに強かったらしく、一部の島民には一目置かれていたらしいというのも好きなエピソードのひとつ。
そしてゆうさんは海でポックリ逝ってしまった。
死ぬ3日前、いつもよりちょっと早めの11時ごろ、お昼ごはんを食べに来てくれていた。夏場はずっとお休みしていたおにぎりの復活を待ちわびてくれていたのだ。
「おにぎりあるん?素麺は?味噌汁も?」
矢継ぎ早に質問を繰り出し、どれもあるよと答えると「全部もらうわ」と嬉しそうな顔を見せた。
注文した食べものを残さずぺろりと平らげて、シメのアイスコーヒーもぐびっと飲み干して、私たちに労いの言葉をかけて、また来るわと言って別れたのが最後に見た姿だった。
強烈なインパクトのキャラクターだったから、突然消えてしまったら居たことの方が嘘みたいに思えた。深い交流があったとは言い難かったのに、しばらくの間私とアイちゃんは「なんだか信じられないね。」「さみしいね。」と言い合いながら、周囲の人たちは大して話題にもしていないゆうさんのことを繰り返し思い出していた。
本当に自由なふるまいばかりで、たじろぐことも多かったけれど、あれだけ潔くやりたいように暮らしていた人は島の人の中にもちょっとなかなかいなくて、うらやましいくらい堂々としていた。たまに島の人間関係の距離の近さに窮屈さを感じたり、逃げ場がなく思えてしんどくなったりもしていた私たちは、ちょっとだけその潔さに憧れていたのかもしれない。
もうすぐ今年の夏が終わる。去年の今頃は、ゆうさんがまだ原付を乗り回していたんだなぁと思い出す。ちょっとだけまた会いたくなることもあるけれど、化けて出られたら絶対に怖すぎるので、やっぱりいいや。それにゆうさんのことだ、未練がましくこの世にとどまったりなんかせず、さっさと成仏していることだろう。
小坂ひとみ
1986年生まれ。2012年に東京から瀬戸内海の豊島に移住。
現在は小豆島在住。夫と猫とともに暮らしている。
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