小豆島から台湾へ、そして京都へ/平野甲賀

 描き文字がメインテーマであるかのような仕事ぶりで、写真やイラストレーションなどとのコラボよりも、むしろ絵画的要素のつよい日本語を主題に選んだことを、今までにも、縷々述べたきた。台湾で、僕の描き文字を420ミリ×490ミリの一定の寸法で72点に作品をしぼって展示できないだろうかと思った。しかしなぜ、いきなり台湾なのか。僕の住む小豆島は夏になると若い観光客が、どっと増える。3年ごとに瀬戸内国際芸術祭が開かれることもあり、台湾・韓国からたくさん若いひとたちが来るのだ。

 2016年6月下旬、一本のメールが入った。韓国PaTlデザイン大学の学生で、アン・サンスー氏のクラスの学生だという。研究室で見た日本の1970年代のアングラ演劇のポスターに大いに刺激をうけた。という、それは当然だろう、それは日本国のデザイン界でも大事件だったのだから。唐十郎の状況劇場(赤テント)。寺山修司の天井桟敷。六月劇場+自由劇場の黒テント、などが間を置かずに、興行を張る。大雑把にいえば、状況劇場は横尾忠則。天井桟敷は宇野亜喜良。黒テントは平野甲賀。といった面々が競い合うように宣伝を担当した。採算度外視で、B全判のシルクスクリーンのポスターで、壁面劇場などと称し、誰云うともなく「ポスターは劇団の旗だ」という言葉まで生まれた。グラフィックデザイン界のみならず、演劇界にとってもエポックメイキング、アングラの時代だったのだ。と、わが家を訪れたパク・ドファン君に、いささか自慢げに語った数日後に、今度は台湾の若い人たちが大挙やってきた。瀬戸内国際芸術際のついでにわがアトリエにも立ち寄ったということらしい。遠来の若人のために数点の描き文字作品のプリントを壁に貼っておいた。なにごとか囁き合っているなかの一人がこれ「劇場」ですよね?「え、そう、読めるんだ」判読不能かと思われた文字を難なく理解してくれた。そうなんだよ、台湾は漢字の国なんだよね。僕のこんなに図案化した奇怪な文字もあっさり読んでしまう。

 高松港の近く、「北浜アリー」という倉庫街のなかでブックマルテという書店を運営する小笠原哲也さんに話をもちかけてみた。彼は台中市に,同様のスペースがあるというのだ。さきほど大挙して現れた台湾連も,彼の手配によるものだった。

 僕は文字・装丁に関する本を数冊だしている。そのなかから台湾語に翻訳されているものがある。みすず書房から出版された『僕の描き文字』が台湾語で『我的手繪字』という書名で,王志弘さんというデザイナーの装丁で出版された。「手繪字」する場合「僕の」と「我的」とでは、すこしニュアンスが違うのではないかとおもいながら、しかし、文字する、という作業は面白い。日本式甲賀流象形文字は台湾の人々に、どう見えるのだろうか。(つづく)




平野甲賀
1938年生まれ。装丁家。
2014年に小豆島に住まいを移した後、2019年からは高松在住。

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