小豆島「本」通信 3 「愛すべき小さな同居人」/ 田山直樹
ひょんなことから、島内に住む知人の猫を10日間程預かった。
その知人夫婦は、僕とちょうど同じ時期に小豆島へやって来たということもあって、何度かお宅にもお邪魔させてもらっていた。
そうした関係もあって、その知人が帰省するタイミングで僕に愛猫の御目付役という大任が回ってきたのであった。
そもそも、僕は「犬と猫、どっちが好き?」と聞かれたら、すかさず「犬!!!」と即答するくらいのバリバリの犬派である。
犬種を問わず、犬を見つけたら駆け寄って触るし、遠くにいて触れないときはじっと見つめてその愛らしい姿を瞼に焼き付けようと必死になる。
犬ほどではないが、猫も嫌いではない、というか基本的に生き物は大体好きなので、猫も好きなのだが、猫に対しても犬と同じテンションで対応(ダッシュで駆け寄り触ろうとする)してしまうので、猫はもちろん僕のことが嫌いである。
そんな僕に、果たして猫のお世話など出来るのか…。
色々な心配事が脳裏を浮かんだのだが、結局猫との同居生活への興味や好奇心の方が勝り、預かることにした。
預かった猫はマンチカンのメス。名前は「ねね」。
以降尊敬の念を込めてねね様と呼ばせて頂く。
初めて知人のお宅にお邪魔した時から、ねね様のことは気になっていた。
遠巻きにこちらを見つめる視線。
おそらく嫌いではないのだろうが、絶妙な距離を空けてこちらを伺う様子。
知人との話が盛り上がってくると、「私抜きで盛り上がらないでくれるかしら」と言わんばかりに、遠くの部屋から聞こえてくる、知人を呼ぶ鳴き声(そして素早く向かう知人)。
今まで犬しか飼ったことがないので、その婉曲的ではっきりしない感情表現方法や、予想できない動きに戸惑うと共に、すごく興味を惹かれた。
そして、極めつきは、マンチカン特有の決して長いとは言えない御美足の可愛さ。
知人の家から帰るころには、すっかり彼女にぞっこんになっていた。
そんな憧れのねね様との期間限定での共同生活が始まったのだが、当初は分からない事だらけだった。
そもそも、どのくらいの距離感で接すれば良いのか…。
近すぎると嫌われるのは分かっているが、あまりにも距離を持って接しすぎて寂しい思いをさせるのは可哀そうだ、とかよく分からない事を悶々と考えた結果、しばらく隣の部屋からそっと覗いてみたり。
ご飯も、犬のように一度に全部食べない、ということを知らなかったので、ご飯を残しているのを見かけて、
「可哀そうに…慣れない環境でストレス感じてはるんやわ、ねね様…!!」
と勝手に悲しんでみたり(その数時間後に何事もなかったかのように食べていた)。
2階から鳴き声が聞こえると「すわ何事!」と駆けつけて、飛び込んできた僕の様子を見てひかれたり…(後で分かるんですが、猫って特に用事がなくても人を呼ぶんですね)。
初めの2~3日は、そうした猫の自由さ、予測不可能な動きに翻弄されていたが、一緒に過ごす時間が増えることで、次第に相手の思っていそうなことや、何をして欲しいのかが何となく分かるようになってくる。
ねね様の方も「こいつはわりに何でも言うこと聞いてくれるぞ」と気付いたのか、帰ってきたらごろんと横になって甘えてくれたり、鳴き声も「にゃーお」と鳴いていたのが、次第に「なーお」と僕の下の名前で呼ぶようになってくれていた。
当初は困惑の種でしかなかった猫の気まぐれや自由さも、慣れてくると犬とはまた違った心地よさだと気付かされる。
この猫特有の距離感、つまり、お互いの事を意識しつつも相手の自由を尊重し、ほどほどの距離を保って接する、というちょっとした緊張感を孕む関係性は、何だか新鮮で面白い。
なにより、大学進学以来12年間一人暮らしをしていて、すっかり一人での暮らしにも慣れていた自分だったが、こうして共に暮らす存在がいると、家に帰るのが待ち遠しくなることに気付いた。
そして、そうした共同生活が生活にリズムと安定をもたらすことも。
猫派に鞍替え、とはいかなかったものの、猫との生活の面白さに気付いた僕。
そんなねね様との共同生活を通して、思い出した本がある。
『ちいさないきものと日々のこと』(編集:もりのこと+渡辺尚子 発行:もりのこと)だ。
西荻窪にあるお店「もりのこと」さんで行われた特別企画展「君と暮らせば~ちいさないきものと日々のこと~」を記念して発行された本書は、ちいさないきものと暮らす/暮らした経験を持つ15人による、彼らとの日々のアンソロジーである。
本書で描かれる、何気ない、でも愛おしい、猫や犬、亀などのちいさないきものとの、宝物のような日々。
その暮らしぶりを読んでいると、いつしか自分が中学生の時に飼っていた愛犬の懐かしい思い出がこみ上げてきて、胸がいっぱいになった。
食いしん坊で、ご飯の時がいつだって楽しみ。
料理をしているときは、台所で美味しいものが落ちてこないかパトロール。
母と喧嘩しているとき、気付いたら間に立って困り顔。僕たちの喧嘩を仲裁してくれた。
犬なのに散歩は嫌い。玄関を出たら帰ろうとするし、途中で抱っこをせがむ。
寝るときのいびきはまるでおじさん。テレビの音も掻き消える。
兄や僕が進学のために家を出た後、一人になった母を見守ってくれた。
僕が大学を卒業して、東京で働いている時に旅立ってしまった愛犬。
飼い始めてから15年。別れの日を迎えてからも5年以上が経つけれど、それでもこうして彼との暮らしは鮮明に思い出すことができる。
そう、共に過ごしているときも、別れてからも、彼らはいつだって僕たちのそばに寄り添ってくれるのだ。
本書はこんな文章から始まる。
”いきものとの暮らしは、
さもない毎日が楽しいし、
いなくなってからもまた、
思い出すことがたくさんあって、
良いものだと思う。”(P5)
僕たちよりも寿命の短い彼らとは、いつかお別れの時が来る。
それはとても悲しいことだし、多分、何度経験しても慣れることはないのだと思う。
それでも、一緒に暮らした日々の暮らしの思い出が全てなくなることはないし、何年経っても、何度でも、折に触れて思い出すことができる。
ちいさないきものと共に暮らしている人は、これまで以上に彼らとの日々を慈しみながら過ごしてほしいと思うし、今は飼っていないけど、これまでに共に過ごした経験のある人は、彼らと過ごした日々を時々思い出してほしい。
そして、そうしたいきものを飼ったことのない人でも、道端で出会う彼らそれぞれに、かけがえのないたくさんの出来事と思い出があることを思ってほしい。
”この冊子には、楽しいお話もあれば、悲しいお話もあります。
けれども、深い悲しみのなかにさえ、我々を照らしてくれるあえかな光が宿っているように感じられます。
その光が、古来よりずっと、人といきものがともに暮らし続けられた鍵ではないかと、ふと思うのです。”(P75、あとがきより)
田山直樹
1990年鳥取生まれ、西日本育ち。丸善ジュンク堂書店で7年間勤務の後、2019年5月小豆島へ移住。本がないと生きていけない。現在地域おこし協力隊として働きつつ、書店開業の準備中。
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