庭先養鶏はじめました3/よしのももこ

一年前、東京の郊外の小さな街で迷走を続けていた私たちに庭先養鶏への扉を開いてくれたのは、かつて岐阜の山村で自然卵養鶏を営んでいた中島正(なかしま・ただし)さんの著書でした。

自分たちの生きる糧を得るためにエネルギーを使って働く。アダムとエバがエデンの園を追放されたことによって、人間がその“労働”から逃れられなくなったことはよく知っているし、やる気もじゅうぶんにある私たちなのですが、“食べるために働く”というのがまるで“貨幣を獲得する”ことであるかのようにデザインされた社会にはちっとも馴染めなくて、その“日本銀行券獲得ゲーム”に対するやる気はいつまで経っても湧いて来ませんでした。

エネルギーを使うことと生きる糧が直結していればわかりやすいのに、なんでいちいち間に貨幣を挟むのか。ややこしいから勘弁してよ! いや、もちろんその意味やメリット(らしきもの)は、ぼんやりとは理解しているつもりです。日本銀行券は腐りませんし、今のところ時間の経過とともに価値が下がるような仕組みにはなっていませんから、自分の欲しいタイミングで欲しいものと交換するのにはとても便利なアイテムだとは思うんですよ、貨幣って。でも。にしても、です。いくらなんでも挟みすぎじゃないのかと。もっとダイレクトに、文字通り“食べるために働く”率を高められたらいいのに…

そんなことをたびたび考えたり、夫婦で話したりしていたものの、実践には至らないまま右往左往していた私たちだったのですが、中島さんの本にはズバリ、「日本銀行券獲得ゲームには乗らなくていいし、むしろ積極的に降りなくてはいけません」ということが書いてあったのです(表現は違いますが)。しかも、中島さんは「こうすべきだ」とイデオロギーをふりかざしているだけの人とは違って、「普通に考えたら、人間が食べていく(糧の自給と暮らしの自足)ということはこういうシンプルな仕組みであるはずだ」ということをただただ何十年も実地で試し続けて、それで実際に生活を成り立たせて来た方なのです。

中島さんの本から伝わって来たこと、それは中島さんが本気だ、ということでした。「一番基本のやり方、もっともシンプルな仕組みというのは、いつでも誰にでも実践可能なはずで、それを実践する人がひとりでも増えればよい」ということを本気で考えているから、蓄積した経験や情報や知恵をたった千円ちょいで買える著書の中で惜しみなく大公開してくれているのです。自分のしていることやしてきたこと、持っている知識などがなにか特別で価値があるものだという自負があり、人にもそう思われたがる(思わせたがる)人はたくさんいます。そういう人は出し惜しみをするのですぐにわかります。でも中島さんのメッセージはただ一点、「ここに誰でもできるやり方を書いておくから、あなたたちもどんどんおやりなさい」なのです。そのメッセージは、真っ暗闇の中に小さな隙間から差し込むひとすじの光のように、迷える私たちの胸にまっすぐ飛び込んで来ました。

1羽1羽に確保されたじゅうぶんなスペース、鶏が浴びたいだけ浴びられる日光、鶏が自由につっついてかき回せて、糞やエサの残りが微生物によって自然に分解されていく土の床、滞留せずに常に動いている空気、緑の草…。鶏が気持ちよく暮らすことを第一にすべてを組み立てていけば失敗のしようがないと長年の経験を通して確信している中島さんは、言葉に迷いがありません。私たちはたちまち、「庭先で少数羽養鶏をやりたい!」という思いを持つようになったのです。

この島に移り住んでまもない頃は、会う人会う人に「で、仕事は何するの?」と聞かれました。本当に誇張ではなく、誰かと立ち話をすると必ず聞かれたのです。その都度私たちは、細かいことはすっ飛ばして「鶏を飼って、卵を売ろうと思ってます!」と元気よく(アホ丸出しで)答えていました。「卵って…それだけでは食っていけなかろう!」というツッコミが入り、ハハハ…と笑ってごまかすところまでが定番のやり取りになっていたのですが、とにかくそれを毎日深く考えずに繰り返していたら、いつのまにか私たちは島の人たちから「今度東京から移住してきた鶏の夫婦」「あいつらアホっぽいけど大丈夫なのか」というふうに認識してもらえるようになったのです。そして、やっと前回の話につながってくるわけですが、島のおっちゃんが飼い切れなくなった烏骨鶏をゆずってくれることになりました。

鶏舎の普請は、中島さんの本に書いてある掘っ建て小屋の建て方などを参考にしながら、何もわからないまま手探りで進めていきました。小豆島のホームセンターで木材と金網を買って来て、ナミイタは通販で購入。イタチや野犬などが穴を掘って隙間から侵入しないよう、周囲にぐるっと埋め込む古瓦も最初は買わないとダメかな…と思っていましたが、要らない瓦をゆずってくれる方を紹介してもらえて廃物利用でなんとかすることができました。近所の元大工さんもたびたび心配して作業をのぞきに来てくれて、釘をたくさん分けてくれました。生まれて初めて金網というものを張りましたが、1カ所1カ所釘で固定して行く地道な作業で、根気のない私は何度途中で投げ出しそうになったかわかりません。でも、ブツブツ言いながらも連れ合いに励まされてどうにか4面ぐるりと金網を張り巡らせることができました。作業日数正味10日間ほどで、三匹のこぶたの次兄が建てた家っぽい超ざっくり建築物が完成!さっそく烏骨鶏7羽とチャボ1羽を引き取って来たのでした。気がつけばもう10月になっていました。

烏骨鶏はオスが3羽、メスが4羽。チャボはメス。新しい鶏舎に入れるとしばらくは落ち着かない様子でバタバタと騒いでいた鶏たちでしたが、30分もしないうちに土の床をつっつきながらのびのびと動き回り始め、もうずっとそこで暮らしていたみたいな顔をして自由にふるまうようになっていました。ふと自分たちを見れば、去年の今頃は狭いアパートで身を縮めるようにして暮らしていたのに、なぜか瀬戸内海の離島で広い家を借り、庭に掘っ建て小屋を建てて、そしてそこには鶏がいる。なんだこれは! どうしてこうなった?!

中島さんの本との出会い、そしてたくさんの人との出会い。私たち人間風情が頭をあれこれひねり回して綿密な準備や対策を練り出したりするまでもなく、鶏たちがこうして我が家の庭に来るまでに必要なものがひとつひとつ備えられていたのかーということを改めて思うと、もう自分たちの趣味とか好みとか望みとかそんなことを基準にして生きてる場合じゃないなって実感させられました。

そんなわけで無事に烏骨鶏たちを迎え、庭先養鶏実践の第一歩を踏み出した幸せを噛みしめながら眠りについた私たち夫婦でしたが、近所中に響き渡る「コッケコッコォォォォー!!!」という渾身の鬨の声によって突如叩き起こされたのです。寝ぼけ眼で「ああ、オスはやっぱり鳴くんだね。朝っぱらから元気だね。まあ、こんな目覚めも悪くないよね…」などと言いながら時計を見ると、1:40の表示。おいおいおい。まだ朝ちゃうし。「コッケコッコォォォォー!!!」「コッケコッコォォォォー!!!」「コッケコッコォォォォオオオオオオー!!!」己の美声に酔いしれながら畳みかけるオス鶏の雄叫びが、限界集落の夜の静けさを引き裂くようにこだまするたびに、私たちの顔から血の気が引いていきます。「いや、これさすがにうるさいよね…」「田舎だからオッケーとかいうレベルじゃないよね…」。半分寝たままの頭で相談した結果、「とりあえず今日はオスだけ車に隔離しよう!!」ということになりました。バカでかい雄叫びが多少はミュートされほっと胸をなで下ろしたものの、これはあくまでも緊急の対処でしかありません。私たちはさっそく、オス鶏の扱いについて決断を迫られることになりました。

(2017/03/08 掲載)


よしのももこ
1974年東京多摩地区生まれ。2016年より豊島在住。
2017年春から夫婦で養鶏と卵売り。一児の母。

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