黒帯観光客、シンの登場/山本佳奈子

 1ヶ月も経たない、数週間前のこと。facebookのタイムラインを眺めていたら、とあるfacebook上の友人が、那覇市旭橋の写真を投稿していた。中国人のシンという男の子だ。facebook上の友人、と書いたことには訳があって、私はその人と直接顔を合わせたことがないのだけれど、いつだったか、何かのタイミングでfacebookで友達関係になっていた。facebookによると、彼と私の共通の友達は6人いる。ヤン・ジュンという、私が北京を訪れるたびに連絡する音楽家もその6人のうちのひとりである。

 シンが投稿した旭橋の写真を見て、「まずい!」と思った。彼はその1週間ほど前に、私にメッセージをくれていたのだけれど、私は返信することを忘れていたのだ。「○日~○日まで那覇に滞在する予定です。もし時間が合えば、飲みに行ったり話せればうれしいです」と。あわててシンに返信をする。「返信が遅くなってごめんなさい。○日夜なら空いてるけどどうだろう?ホテルはどのあたり?」

 予定をうまくあわせることができて、ある日の夜9時ごろに、あるバーで飲むことにした。シンはその前日になって、「想定外にカメラバッグが重くていろいろ予定を変更するかもしれない。明日予定通りの時間に待ち合わせできるかどうか、また明日の夕方までに連絡させてください」とメッセージを送ってきた。想定外にカメラバッグが重い、という理由は、今まで聞いたことがないし、変な人だなあと思った。

 翌日になって、シンは予定通りの時間に指定の場所に来れることになった。夜9時に牧志駅で彼と落ち合う。それまで、私はちょっと時間があいていたので、シンと行く予定のバーで先に1、2杯飲んでいた。牧志駅前のローソンでシンをつかまえる。長髪を後ろでまとめていて、シンプルだけれどもおしゃれな服を着ていて、ひょろっとしたシン。確かに重そうなカメラバッグを持っている。「これ7kgぐらいあるんだ」と言う。沖縄も梅雨が明けて真夏に突入したところだ。昼間にアクティビティを詰め込んでいる観光客がかわいそうになるこの時期。沖縄の地元の人たちや、移住して仕事をしている私も、昼間にうろうろするなど勘弁。みなさん熱中症にならないように気をつけてね、と、涼しいクーラーのついた部屋で闊歩する観光客を眺めながらエールを送っている。シンは、「自分が1日にこのカメラバッグを持ってどれぐらい移動できるか、もう感覚を掴んだから大丈夫だ」と言っていた。

 バーに戻り、シンを私の沖縄の友人に一通り紹介する。シンについて私が知っている情報は、アートが好きで、ヤン・ジュンが演奏するような実験音楽も好き、というようなことぐらい。あまり彼について知らないので、いろいろ質問する。彼は音楽のプレイヤーでもなければ美術の作家でもなく、鑑賞者であるとのこと。写真に関しても、大学生の頃は積極的に撮っていたらしいが、今はスローダウンしているそうだ。沖縄に旅行に来て、久々にカメラと向き合っているらしい。

 何かの話の拍子に、シンは昔観た沖縄にまつわる映画の話をはじめた。「ドキュメンタリーなんだけれど、監督があの人で、ほら、日本語の発音はわからないけれど、それで沖縄が舞台になっていて、こういう映画で……」。私の頭の中がハテナいっぱいになっていたところに、バーのオーナーが「あ、原一男でしょ!ほら、これこれ。知ってる?」と、『ゆきゆきて、神軍』のDVDをシンに見せた。シンは「そうそう、この人!」と言って、2人は原一男というキーワードで大盛り上がり。実は私は原一男作品は一本も観たことがなく、2人の会話についていけず少し悔しかった。シンが言っている映画は『極私的エロス・恋歌1974』のことだったようだ。

 その瞬間から、シンが沖縄に数多来る観光客のステレオタイプではないことを、私や私の友人、そしてバーのオーナーは察知した。どうやら彼はビーチを堪能しにやってきたわけではないらしい。互いに固有名詞を出し合いながら、不慣れな英語でも会話が弾むようになってきた。そう、中国の人たちと私たちの共通語は、英語、そしてたまにiPhoneで見せる漢字。60パーセントの雑な英会話と、30パーセントの漢字筆談。残りの10パーセントは、お互いの雰囲気やジェスチャー、ことばの抑揚で、なんとかなる。

 しかし私は不思議に思った。そんな、原一男の映画を観ているような人なら、東京に行ったほうがいいんじゃないか?日本のアングラカルチャーがすべて集まっていた東京に行くほうが、もっと楽しめるんじゃないだろうか、と。シンに聞いてみると、東京にも数日後に行く予定だけれど、沖縄には昔から来てみたかったとのことだった。ビーチや青い空やリゾートに興味を持っているのではなく、沖縄の歴史を調べた上で、この地に来てみたいと思っていたらしい。

 「明日はなにするの?」と、シンに聞いてみると、「○○城址に行って、時間があれば○○にも行ってみたい」と、私があまり聞いたことのない地名を並べられた。知らない地名、史跡だったので、私はGoogle検索でそれらの名前を調べながら「これ?すごいね。よく調べたね」と感心していた。中国にどんな文献や情報があって彼がそれらを知ったのかはわからないけれど、沖縄に来る前に彼は、相当の時間を費やしてこの地の過去を調べてきたのだろう。横にいた、ずっと沖縄で生まれ育った友人は、「うれしいねえ……」と、ポツンと言った。

 その2ヶ月前の4月下旬、私はマカオを訪れていた。マカオ市街地の中心、セナド広場に行くと、観光客が広場におさまりきらず路上にあふれていた。私が初めてマカオに行ったのは、もう4年ほど前か。そのときは、セナド広場では地元の人が待ち合わせをしたり、のんびりと話していたり、夜はライトアップされて石畳の光沢が美しく反射して、静かで、ぼーっと過ごせる広場だった。今は、四六時中観光客が溢れていてとてもとても賑やか。セナド広場の人ごみにうんざりして、できるだけこの場から遠く離れたいと思った。まるで渋谷のスクランブル交差点。まるで観光シーズンの沖縄国際通りだ。数年のあいだに観光客に飲み込まれてしまったセナド広場を見ていると、観光客の増加はその土地の文化を壊すのではないだろうか、と、恐ろしくなった。おそらく、もう地元の人はセナド広場に寄り付かなくなっている。沖縄の国際通りも、今歩く人たちの大半が観光客で、地元の人は国際通りを歩きたがらない。地元にとって、観光客は敵か味方か。消費という点では味方であることは間違いないが、消費行動を推し進めているあいだに、その土地は元々の雰囲気や空気、人、コミュニティを失ってしまわないか。

 セナド広場の変貌を見たあとだったから、沖縄に戻っても、観光客の増加を憂うばかりだった。国際通りを自転車ですり抜けながら、観光客の両手に抱えた大きな買い物袋を眺めながら。そして6月になって梅雨が明けて、また観光客が一段と増えた。ドラッグストアのレジはいつも行列。チェーンの沖縄料理店は忙しそうだ。

 観光客という沖縄県が追い求める消費層にうんざりしていた。そんなときに、やってきたシン。なかなか食らわされてしまった。私こそ、外部から来た人を観光客というステレオタイプのイメージで括ってしまっていて、その人が沖縄で「何を」見たいのか、体験したいのか、想像することを忘れていた。観光客だってひとりひとり、人なのだ。多様であるはずだ。「リゾートと買い物にしか興味がない観光客」なんて決めつけてしまっていたことに猛省した。もしかしたら、シンのようにニッチな角度から沖縄を見に来ている人も、普段出くわさないだけで、結構いるのかもしれない。

 その翌日以降、シンがfacebookで「チェックイン」した場所は、以下の史跡やスポットだった。おそらく、ほとんどの観光客は行かない地味な(けれど歴史的には重要な)場所である。

・玉陵(たまうどぅん)

・富盛の石彫大獅子(ともりのいしぼりうふじし)

・健児の塔

・慶座絶壁(ギーザバンタ)

 自分のことを棚にあげるわけにはいかない。私こそ、沖縄在住歴がもう1年と3ヶ月になったのに、上記のどこにもまだ行ったことがない。シンの登場は、私が沖縄のことについてあまりに勉強不足であることにも気づけたのだった。直近の目標は、平日に2日間休むこと。車を借りて、ついにアーバン那覇中心部から離れ、沖縄本島の奥深い魅力にどっぷりとはまってみたいのだ。

ついに、先日沖縄観光にでかけることができたのだが、見事に大雨に降られた。一瞬雨が上がった時は、もう真っ暗だった。暗闇の万座ビーチ。





山本佳奈子
アジアの音楽、カルチャー、アートを取材し発信するOffshore主宰。 主に社会と交わる表現や、ノイズ音楽、即興音楽などに焦点をあて、執筆とイベント企画制作を行う。尼崎市出身、那覇市在住。
http://www.offshore-mcc.net

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