ドンドロ浜商店繁盛記5/小坂ひとみ
2016年3月20日、ドンドロ浜商店はどうにか開店にたどりつくことができた。
「商店」と名乗っているものの品物はわずかばかりで、なぜだか「おにぎりをメインで売る店」としてスタートをきったのだった。
人にお金をもらって自分の料理を提供するということは、とても勇気がいる。私もアイちゃんも料理にはいまいち自信が持てなかったので、まずは軽食ぐらいから始めなければ荷が重かった、というのがおにぎりを出すことにした一番の理由だ。それに、おにぎりなら豊島産のお米や海苔をダイレクトに味わってもらえるし、すぐ前の浜辺で食べてもらうのも良い。そして、教えを乞える助っ人にひとり、アテがあった。私の母である。
母は私が高校に入学した2002年から13年間、おにぎりが人気のお弁当屋さんでパートの仕事をしていた。その店は新潟県産のお米がおいしいと評判で、多いときには1日に1000個用意することもあったという。
まだ日が昇る前におにぎりを作りに出かけて行った日のことや、夕方帰宅するなり「疲れたぁ~!今日は200個も握ったわよ!!」と怒ってるのか笑ってるのか分からない様子で報告してきた母の姿をよく覚えている。
娘から突然豊島で店をはじめると告げられて当然心配していた母は、ふたつ返事でおにぎりレクチャーを快諾してくれた。
2016年の2月の末、夜行バスに乗ってドンドロ浜商店に母がやってきた。保冷バッグにおにぎりの中に入れる梅干しや佃煮などの具材まで持って来ていて、本気のオーラがみなぎっていた。
母はまず、開店準備が進んでいない状況と、私とアイちゃんののんびりしたペースに心底驚き、着くなりすぐに休憩もなしに、「お米を炊いて」と言ってきた。タフだなぁ、おかあちゃん。
1 炊いたお米を500グラム、ボウルに移す。
2 小さじ1杯(5cc)の塩をお米にまぶす。
3 手袋をはめた両手で、お米をふんわりとまぜほぐす。
4 お米を90グラムとり、約半分の量をおにぎり型に詰める。
5 型に詰めたお米に具材をのせ、残りの半分のお米をかぶせる。
6 やさしくお米を手で押さえ、おにぎり型をひっくり返し、型から抜く。
7 海苔を巻いて、てっぺんに具材をちょこんとのせる。
これが、私の母が長年弁当屋でやってきたおにぎりの方法だ。型は三角形の穴が5つ開いただけのプラスチック製のものを使用している。単純でだれにでもできる簡単な作業なのだが、自分のためにやろうとは思えない。だれかに食べてもらうためにやる、これはそういう類いの作業だと思う。お米と塩を手で混ぜ合わせるとき、とても熱いので手は真っ赤になってしまう。けれどそうすることで、ふわっとした食感で、冷めてもギュッと固くならないおにぎりになる。
おにぎり練習がひと段落ついたころ、植松さんがやってきた。
「もうすぐG7関係の朝食の仕事があるんだけどな、朝早すぎてみんなに断られた。ドンドロ浜商店でやってもらえないか?」
…ジ、G7?各国の首相が集うアレ…?
その場にいた全員が一瞬すごくうろたえたわけだが、もちろんそんな大役のはずはなく、G7の取材に来た海外メディアの方々への朝食ということだった。それにしたって、朝7時半納品で17名分のおにぎり弁当をつくるのだ。初仕事にしては冒険であることに違いはなかった。不安もあったけれど、せっかくなのでお引き受けしてみることにした。
当日の朝は午前4時に起きた。おにぎり作りは朝お米を炊くところからはじまって、そのあと握る行程もあるので、当日の仕込み時間が長くなる。今回はおにぎりの包みを竹皮にすることにしていたので、さらにひと手間かかるのだ。
竹皮包みのおにぎり弁当の中身は、豊島の郷土料理の黒豆ごはんのおにぎりと、豊島産の焼き海苔を巻いた昆布の佃煮入りのおにぎり、漬け物、ちょっとしたおかず数品。男性には少し物足りなかったかもしれないけれど、朝食らしいお弁当になったのではないかと思う。
予想はしていたが、配達は7時半ギリギリになってしまった。ヨボヨボになりながら家浦港にすべり込むと、待ち受けていたみなさんが次々と竹皮包みを開いて、おにぎりを頬張っていく。緊張しながらその様子を見つめていると、どうやらとても喜んでくれているようだ。竹皮包みも珍しかったようで好評。大変だったけれど、竹皮にしてよかった。
「初仕事はG7関係のおにぎり弁当」という嘘みたいなエピソードが、3月20日の開店を前に、ひそかに生まれていたのでした。
小坂ひとみ
1986年生まれ。2012年に東京から瀬戸内海の豊島に移住。
現在は小豆島在住。夫と猫とともに暮らしている。
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