瀬戸内カヤック横断隊/山本貴道

「本日の天候は晴れ、東の風4m、午後にかけて強まる予報。満潮時刻は14時、転流は13時。転流前には瀬戸大橋を通過したい」東の空が白みかけた砂浜に海図(海の地図)を広げて十数名が輪になっている。彼らは瀬戸内カヤック横断隊。毎年初冬を迎える11月半ばにカヤックを漕いで瀬戸内海を横断している。

 それぞれのカヤックが海に浮かんだ頃、三都半島の後ろから太陽が昇り始めた。11艇のカヤックが朝日を浴びて輝いている。「行ってらっしゃい!気をつけて」今年の僕はそこにはいない。諸事情あって見送り側。手を振り別れをすませると、隊は潮と風に乗ってあっという間に黒崎の向こうに消えていった。

 横断隊は昨年(2016年)で第14次を迎えた。11月18日に小豆島を出発し、七日間かけて山口県の祝島を目指した。その距離約260km。一週間の間、毎日どこかの島に上陸し、野営を行いながらゴールを目指す。

 横断隊には隊長はいるのだが、参加者は毎回当日にならないとわからない。隊長が出発地点と日程を決めると、それに合わせ瀬戸内はもとより、日本各地、遠くは沖縄などからもカヤック乗りたちが集まってくる。なので出発前日の浜辺で「久しぶり!今年も行くんだ」「はじめまして。よろしくお願いします」なんて会話が繰り広げられる。

 横断隊への参加は自由だが7日間で260kmを漕ぐ力が必要となる。単純に計算して一日30~40km。一日だけならまだしも、それが1週間続くとなるとなかなかハードだ。また集団で漕ぐためにペースをつかむまでに苦労する。毎回三日目くらいになってようやくリズムがつかめてくる。が、日に日に疲労が蓄積し、手のマメはつぶれ、体中がギシギシと軋みをあげ始める。(ただし、これは僕の場合で、ベテランカヤッカーになると全く平気な人もいる)

 さらにカヤックの道具や装備を自己管理できることも重要な参加条件だ。11月も半ばになると穏やかな瀬戸内といえども、一週間の旅の途中、天気が崩れ海が荒れる日が必ず訪れる。そんな中カヤックや道具が壊れたりしたら大変だ。またそんな日は波しぶきと汗で1日が終わると全身がぐしょ濡れになっている。防水性や速乾性に優れた服でなければ低体温症で体が動かなくなり事故につながる恐れもある。

 そして横断隊では食事や野営に関しても個人管理。一週間分の食料や水、野営道具を計画し、それらをすべてカヤックに積み込まなければいけない。何を携帯し、何を省略するかはそれぞれの判断とされる。酒好きな人のカヤックの中を覗くとビールとウィスキーが山ほど積み込まれていて驚いたことがある(笑)。食事もそれぞれの自由。パスタ中心の人もいれば、餅とおでんで七日間なんて人もいる。ちなみに僕はコメ派だ。

 そんなちょっと、いやかなり敷居の高そうな横断隊の門を僕がくぐったのは四年前のこと。2013年と2015年の横断隊に僕は参加した。

 横断隊に初めて参加すると、まずは夜の焚き火を前にして「なぜ横断隊に参加したのか?」を問われる。穏やかで多島美の海域を一週間かけてカヤックで旅をすることはカヤック乗りならだれもが憧れることだ。しかも僕はこの瀬戸内海のガイド。自分が暮らすこの海のことをもっと知りたいというのが一番の動機だった。

 僕が参加した年はいずれも祝島をスタートとし、小豆島を目指した。初日こそ初めての団体行動にとまどったが、横断隊は毎日が厳しい、けれど楽しい学びの場だった。

 横断隊の朝はこんな感じ。日が短い11月の半ば、一日に進む距離をできるだけ伸ばすために隊は夜明けとともに出発する。空がうっすらと明るくなり始めた早朝6時、浜辺でのミーティングが始まる。ミーティング終了後にはそのまま出発となる。そのため僕の場合は4時に起床。まずは熱いコーヒーで目を覚ませ、朝飯をかっこみ、着替えをすませ、テントその他諸々を片づけし、それらをカヤックに積み込み、海図を見ながら今日のルートを考えていると「集合!」の声がかかるという感じだった。これら一連の作業を暗闇の中ヘッドランプの小さな明かりを頼りにこなす。しかもかなり寒い!いったいなんでこんなことやってるんだろうと毎朝思っていた。

 が、いざ海に浮かび、日の出と共にカヤックを漕ぎ始めると、あー、この瞬間のために僕は参加していたのだと心と体が喜び始める。

 朝日に染まる茜色の空を海鳥の群れが飛んでいく。島から島へ。僕らもあいつらと同じ渡り鳥のようだ。瀬戸内海に浮かぶ島の数は727。祝島、周防大島、大崎下島、大三島、走島etc.。僕らが上陸できた島なんてそのうちのほんのわずかだ。カヤックで島と島の間を通り抜け、島を回り込むと目の前にまた違う島が現れる。毎日、いや一漕ぎごとに風景はゆっくりと動いていき、僕のなかの瀬戸内海が広がっていった。

 横断隊では毎日リーダーが指名され、そのリーダーがその日の天候、潮流、地形などを考慮し、コースを決めて隊を率いる。どの島の間を抜け、どの島に上陸するか、無数にあるルートの中からその日のベストを決定する。したがって毎年同じコースをたどるということはまずないし、大潮小潮、天候によって、海は毎回新しい顔を見せてくれる。

 残念ながら僕が参加した年は2回とも祝島から小豆島への完漕は果たせず、2013年は岡山の渋川海岸、2015年は岡山の白石島での途中終了となった。「おつかれさま。また来年会おう!」横断隊はその日そこで解散となる。

 が、解散といっても簡単に終わらないのが横断隊。まずは出発地点まで自分の車を取りに行き、再びその車で解散地点へ引き返し、自分のカヤックを車に積み込み、ようやくそれぞれの場所へ帰っていくことができる。

 が、僕は出発地点へ車を取りに戻ることなく、翌日から引き続き、小豆島へ向けて1人でカヤックを漕ぐことにした。横断隊がたとえ途中で終わろうとも小豆島までカヤックで帰ろうと思い、スタッフに出発地点まで送ってもらっていたのだ。

 僕が参加した年は20名以上の参加者がいた。前日までの大所帯から一転、1人で海に出るとちょっと心細くなったが、すぐにその自由さに心がワクワクしてきた。湧きたつ心を静め、風を読み、潮を感じ、ただ黙々と小豆島に向かって漕いだ。すべてを自分で判断することで、より一層海を、そして自分を見つめるよい海旅となった。夕暮れ、小豆島の浜辺に無事到着できたときには遠く祝島と僕の住む小豆島とが海の道でつながった気がした。

 さて今年の横断隊はというと、天候と潮に恵まれ、なんと6日間で祝島に到着した。送られてきた写真の中のみんなの笑顔が今回の海旅の充実さを物語っていた。祝島での祝杯はさぞうまかっただろう。来年は祝島からのスタート予定。次回こそ僕もみんなと小豆島で乾杯したいものだ。その時はビールの差し入れ大歓迎!ちょっと臭うかもしれない僕らですが、焚き火の前で一緒に海の話をしませんか。




山本貴道
1972年小豆島生まれ。
カフェタコのまくらを運営
タコのまくら

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