高松・北浜アリー/平野甲賀

 高松港のフェリー桟橋から、歩いていける距離に、その古倉庫群が並んでいた。二年ほど以前にこの場所にきたときは、そのうちの一つの倉庫の二階を改造して、古道具屋と喫茶店をミックスしたような、いまどきの流行りなんだろう、若者好みの店だった。こんなところで商売に成るんだろうかと心配になったが、しかし今年の春にふたたび訪ねてみたら、残りの倉庫群にも、にぎやかにスナックだのブテックなどが開店していた。この短い間に、こんなことになってるなんて、ちょっと学園祭のようなのりだね、もはや老骨の出る幕じゃねえなと……。このスペース北浜アリー・「ブック・マルテ」の運営をしているのは、小笠原哲也さんだ。

 迷路のように並んだ、お店を覗いていたら、ごく小さな書店があった。並んだ本の背を眺めて、眼にとびこんできたのが、なんと「犀」のマークじゃないか。へー、こんなところにまで出張っているのかと感心し、書名をみると白井晟一「無窓」。ぎゅっとネジを巻かれたような気分になった。恥ずかしながら、じつはこれでも建築家を目指していた若造のころがあったのだ。その夢は無惨に打ち砕かれることになったが、「白井晟一」という名前に出っくわすと、いまだに緊張する。重厚な造形感覚とこれまた華麗な文章家であり書もいたす、わが青春のシンボルのひとつなんだ。こんな本が晶文社から出版されていて、この小さな書店のデザイン書コーナーに鎮座していようとは!

 はなしは前後するが、この場にきた目的は、小豆島に住む若き写真家パトリック・ツアイの写真展を企画したいと思ってスペースをさがしにきたのだった。相談を持ちかけると、倉庫と倉庫の間を一軒分つぶしてパティオにしたオープンスペースがいい。ということになりあっさり問題解決。

 それともう一つ、「あなた、台湾にもこんなスペースを、お持ちだそうで、出来ればそこで私も個展をやりたいと、密かに思っているのだが」と切りだしてみた。かれは一瞬、怪訝そうな表情で「ちょっと場所かえましょう、この近くでゲストハウスもやってるんで」「え、そうなの?」。コザッパリした和風の家だった。そこを運営管理している背の高い男女が愛想良く出迎えてくれ、いろいろ説明してくれる。「ちょっとPC 持ってきて」テツ君は自分の運営している「台中」のスペースを見せてくれるが、それらは東京でも、小豆島でも、台中であろうとも、画廊というものは、さほど変わりはないもんだ。だが「五十点もですか、そりゃ内だけでは無理かも、でも、だいじょうぶ近所の仲間のスペースに分散させればいい」「そんなこと出来るかね? 出来たらそれは最高だね」。漢字だらけの、その街中に自分の描いた文字が、ひっそりと佇むごとくある風景がだんだんに見えてきた。ブックデザイナーとは、それが、たとえ文芸作家先生のなせる業とはいえ、好んで共犯者となったのだ。書店に置かれた本に、なにがしかのエールを送ったりする。まあ、見て見ぬ振りをすることもあるけどね。

 「こんど瀬戸内芸術祭を見に、台湾から若い人たちが大勢来るんですけど、アトリエ?に伺ってもいいでしょうか」「え。はい、どうぞ、ただいま展示物製作中ですが」二三日後に、ぞろぞろと台湾の若ものたちが、やって来た。「これ劇場?」なかでも一番解読しにくい文字を指さして「わたし、演劇をしてますので、わかります」という女性。活発な会話がとびかい、流石は、中国いや漢字の国の人たちだ。こちらもつい多弁になって……。さあ、やるぞ!




平野甲賀
1938年生まれ。装丁家。
2014年に小豆島に住まいを移した後、2019年からは高松在住。

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