でこぼこデイズ! - 3 - 50センチ四方の - / 小日向知子
私が働く社会福祉法人が、廃校になった小学校を市からお借りすることになって、そろそろ10年近くになる。校舎校庭体育館の管理業務全般を担うものの、実際は2階建て校舎の1階部分を法人事務局、ヘルパーステーション、そして私が所属する障がいを持つ方の日中活動事業所でシェアし、2階はエイブルアートを支援する団体や週2日だけ開校するフリースクール、画家さんのギャラリー、移住してきた方々のコミュニティ倶楽部、権利擁護と財産管理をするNPO法人など、多団体が居を構えている。校庭の脇には、統合された地元小学校のスクールバスのバス停や、地域のごみステーションもあり、人の出入りは、終日通してそこそこ多い。
借り始めた当時、近所の方から「どの方が障がいがある人で、どの方がない人かわからなくて、不安で困るので、名札をつけてほしい」という要望が真顔でよせられた。その気持ち、わからなくもないが、名札で何かわかることもないのかもしれないよと、口にはしなかったが思った。私はいまだに、自分がどこに属するのか、何をしようとしているのか、そもそもできることがあるのか、支援しようとしているが実際はされているんじゃないか、など、毎日のように問いに直面させられ、戸惑って、ブレまくっている。こんな人が「障がい者ではない」とされているとして、果たしてそれだけで何か安心してもらえるだろうか?
私たちの事業所でお借りしているのは、校舎1階の3分の2ほどのスペース。教室でいえば、かつての校長室、職員室、図書室、小学校1・2年生の教室、家庭科室、放送室、倉庫、更衣室など。作業で使っているメインの部屋と食堂は、改修して使用しやすいように整えているが、ほかの部屋は小学校時代のロッカーや機材がそのままあったり、残されていた本がまとめて置いてあったりする。必要に迫られる部分だけを整理整頓し、触らなくていい部分は触っていない。学校って、いろいろな人の記憶や想いがずっしりとしみ込んでいるので、不用意に触りガラッと変えてしまうことが、なんとなく怖いような気がするのである。
なので、バリアフリーの環境とは、全然言えない。空間把握をするにしても、死角がたくさんあり、目が届かない場所ばっかりだ。でも、それがとても気に入っている。誰もがみんな、いつもニコニコとして一緒に過ごしたいというわけではないのだ。ひとりになれたり、隠れられたりする場所がないっていうのは、ものすごく不健全ではないだろうか。
まだその話声を聴かせてもらったことがないYくんは、倉庫の奥で一人作業をし、昼食を家庭科室に運んで食べ、空き時間は元飼育小屋前のベンチに座っている。
Mちゃんは午前中、作業室の畳スペースに居て、作業が終わると放送室脇の窓のない吸音室でごろごろしている。午後、いないなと思ったら、たいてい花壇と校庭の間をふらふらして、景色に埋もれている。
トイレに行ったはずのRちゃんが帰ってこないときは、2階のギャラリーにお邪魔していることが多い。Kさんは、来所してすぐ元更衣室にある簡易ベッドに潜りこみ、ほぼ1日出てこない。
Aちゃんはそもそも、毎日ひとり別室で過ごすのが基本。部屋の扉の前に脱いである上履きをみて、「今日もAちゃんきているね」と話すものの、会話したことがある利用者さんはほぼいない。けれどみんな、Aちゃんの動きをよく知っているし、気にかけている。「さっき、トイレに入っていったけれど、もう10分もでてこないよ。髪の毛切ったみたいだから、鏡でも見ているのかな?」。
図書室の本の山の中から、西洋の美術館の図録の素敵なものばかりを発掘してくるのはSちゃん。Sちゃんが机の上に置きっぱなしにした読みかけの本をKちゃんがさっと持って行って、シャワー室前のKちゃん専用椅子に座ってペラペラめくっていたのをYちゃんが言葉巧みに拝借して、Yちゃんのロッカーの奥から後日発見されるなんてこともある。しかもそれを黙って一部始終見ていて、聞かれるのを待ち「俺知ってるよ」と記者会見さながらの語り口調で得意げに話すTくんもいて、〆めの文句は「事件は現場で起きているんだよ!」だった。
そう、現場というか、ここで過ごすすべての時間が、利用者さんにとって、私たちスタッフにとってのかけがえのない全てで、事件?であることを毎日思い知らされている。何事もなければただの普通の一日だと思ってしまうけれど、それは同時に、何事があってもおかしくなかった一日で、今日「その日」が来てしまうのではないかと思わない日はないと、ご家族の方からうかがうことも度々だ。
「Tくんがいないよ。さっきまでいつものソファーでニコニコしていたんだけど、ヒューっと走っていなくなったよ」。事務所で記録をつけていると、Yちゃんが能天気な声で伝えに来てくれた。声のトーンこそ軽いが、わざわざ報告に来るあたり、彼はそのことの重大さをよく理解している。即座に上司の声が飛ぶ。「まず、体育館ね。ステージの奥も」「○○さん、外。車道の方見てから、グラウンドに回って」「あっちに◇さんいるから、奥の部屋見てきてもらおう」「△△さん、2階見てきてくれる? Tちゃん、学校時代、よく上の階のベランダに隠れてたんだって」。
Tくんは、一昨年支援学校を卒業したばかりのニューカマー。背が高くすらっとしたイケメンで、いつもニコニコしている。重度の自閉症で、ほとんどしゃべることはなく、みんなの中にいて穏やかに過ごし、なんとなく周りの活動に乗って過ごしていた。その適応力はなかなかのものに見えているけれど、「それだけではない」姿をTくんの母が切実な語り口調で話してくれたことがある。もしかしたら、私たちは、彼のほとんどを知らないのかもしれない。それでも、Tくんが行きそうな場所、しそうなことを、みんなで知恵をしぼって考える。携帯で連絡をとりながら、探しまわる。10分経っても見つからない。トイレにも、体育館にも、外にも、2階にも見当たらない。違う目で見れば見つかるかもしれないと、場所を交替してもう一度探す。大きな声をあげたら他の利用者さんがざわつくし、Tくんも驚いて隠れてしまうかもしれないと思い、平然を装ってそっと探す。最悪の事態も頭によぎり始め、胸が高鳴ってくる。20分。もう一度体育館へ。この前Yさんがいなくなった日はとても暑い日で、涼しい場所を求めてステージ下に入り込んだんだった。今日はそれほど暑くないし、Tくんあそこまでいく階段で頭をぶつけそうだから行かないかなと思いながらも、狭くて低い階段を降りステージ下へ。やっぱりいなかった。うーん、なんでうちの事業所、こんなに広いんだよ。こんな時だけ、この建物を恨む。
ステージの下から出て、服についた蜘蛛の巣を払い、がらんとした静かな体育館をぐるっと見回してため息をつくと、あれ、今、上のほうでカーテンがふわっと動いたような気がした。壁沿いをつたう鉄の階段を静かにのぼり、上の観覧席の奥の方を見ると、窓際の狭い通路の角に置いてあるほんのちいさな椅子の上に、Tくんが体育すわりをして、いた。風が窓から吹き込んでいて、ぱあっとカーテンがふくらみ、Tくんを包んだり解放したりしていた。私は上司に、「Tくんいた たいくかんのたかいところ」とLINEしてから、ゆっくり歩いてTくんに近づいた。Tくんは、窓のそばで、膝をかかえて、じっと遠くを見ていた。
「Tくん。いたね。よかった」。彼は、そのままのぎゅっと縮こまった姿勢で「いたね」と言って、私を見上げた。私は、次の言葉を選ぶため、少し黙った。そして、「みんなのところにかえろうね」と伝えた。Tくんは「かえろうね」と言って、静かに立ち上がり、てきぱき窓を閉め鍵をかけ、カーテンが元に戻っているか確認するようなしぐさをし、先頭だって通路の階段をカンカンと下に降りた。ふたりとも下に着いた時、私は自分の手にじっとり汗をかいていることに気が付いた。「ここは危ないからね、ごめんね、もうこないよ」。手でばってんを作ってみせると、Tくんは「こないよ」と、私の目を見て、はっきり応えた。
誰かが走ってくる音がして、体育館の重い扉が開き、勢いよくスタッフが飛び込んできた。「ああよかった。Tくん、探したよ! みんな待ってるよ。ここにはもうこないよ、危ないからね」。そう言って、持ってきた黄色いテープで、階段の昇り口をバツ印でふさぐ。「こないよ」。もう一度、Tくんが言った。そして彼は、みんなのいる場所のほうに、興奮を抑えようとしながら、跳ねるように駆け出した。
その後Tくんは、ふらっといなくなることもあったけれど、あの場所には一度も行っていない。私もなんとなく、あそこに行く気持ちになれない。
風が気持ちよく吹いている日に、よくあの時のTくんを思い出す。だだっぴろい静かな体育館の、高いところの片隅で、たった50センチ四方にちょこんと身を縮めて座って、窓の外を見ていた彼の眼は、ビー玉のように無機質で、底がないほど澄んでいて、ちょっとこの世ではないと、思ってしまうほど美しかった。そのおかげで、声掛けを間違えたら、Tくんが窓枠の向こう側に飛んで行ってしまうのではないかと、一瞬よぎってしまったのだった。
彼の目に映る世界のことを、私たちはどうやって知ることができるだろう。
小日向知子
1978年生まれ、山梨県在住。障害がある方の暮らしに関わる仕事をしています。無類のうどん好き。電子書籍『小日向知子短編集 寒の祭り』
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