放牧養豚をなりわいに-自然の循環のなかに自分の仕事をつくる生き方-

 山の丘陵な斜面にオリーブやミカンの木が続く道。遠くには凪いた瀬戸内海が見える。「ブー、ブー」と聞こえてくる鳴き声の方に向かうと、エサをもらえると思った豚が電気柵のギリギリまで近づいてくる。養豚場を訪ねると鈴木農園の鈴木博子さんが1歳の息子アル君と一緒に出迎えてくれた。

▲鈴木農園の鈴木博子さんと次男のアル君。アル君は豚の背中に乗るのが好き。

 鈴木さんが暮らす香川県の小豆島は、瀬戸内海で淡路島に次ぎ2番目に大きな島だ。人口は約3万人。400年程つづく醤油や素麺などの伝統産業に加え、日本では数少ないオリーブの生産地としても知られる食が豊かな島だ。最近では約350人が移住している。

地域のいらないものを活用する放牧養豚

 

 鈴木さんは2014年から島で放牧養豚を始め、今年で6年目になる。セネガル人の夫イブさんと長男ノア君(14歳)、長女エレンちゃん(7歳)、次男アル君(2歳)の5人家族だ。鈴木農園では耕作放棄された雑木林にソーラー発電の電気柵を囲って豚を飼っている。それ以外は何も手を入れなくても、豚が勝手に根を掘り起こし、草を食べ土壌を良くしてくれる。エサは地域から出る食品残渣。給食センターや宿泊施設から出る残飯に素麺工場の素麺くず、農家の野菜くずなどを毎日軽トラでもらいに回る。地域のゴミをなんとかしようと養豚をはじめたが、いつかエサがなくて豚を飼えなくなった時には、草を食べるヤギでも飼おうかと鈴木さんは笑う。

▲エサを炊くのはイブさん担当。薪は、伐採した木や、古い家を壊した廃材などを使っている。

▲もらった残飯はくず米と一緒に3、4時間炊き熱殺菌する。

「人間が食べるために栽培し、料理されたものが豚のエサになります。だから、すべてが無農薬でも、無添加でもないんです。エサにこだわるなら、私たちの食生活を見直さないといけない」

セネガルで家畜への価値観が変わる

 昔は動物を殺して食べるのが嫌だった。子供の頃から動物が好きで、小学生の時は飼育委員もしていた。10代の頃、ポールマッカートニーの最初の妻リンダマッカートニーが書いたベジタリアンの本を読み衝撃を受ける。「人間が肉食をやめれば、家畜のエサとなる穀物を世界の飢餓で苦しむ人たちと分け合える。 動物にも感情があるので屠畜は残虐」と考えるようになり、お弁当は梅干しおにぎりと果物という高校時代を過ごした。 

 卒業後は農業がしたくて短大の農学部へ進学。卒業する頃に、社会に出ることに悩み青年海外協力隊でセネガルへ行くことにした。現地ではニワトリや豚、牛などの家畜も農作業がさかんな時期以外は放し飼い。日中は自由にエサを探し求めて街の中や草原を動き回り、日が暮れると寝床に帰る。人間はお祝いのときなどに、家畜を潰して、みんなで分かち合う。そこには自然な命の営みがあるように感じたという。

「どの家畜も自分でエサを歩いて探して、必死で生きる姿を見たら、私も一生懸命生きてこいつらを食べていいなと思いました」

次第に、家畜を殺して肉を食べることへの抵抗感がなくなっていった。

▲セネガルで青年海外協力隊をしていた頃の鈴木さん。

 日々の生活では、肉を食べるには生きたまま買って、自分で殺さなくてはいけなかった。

「羽根をむしったらほんの少しになるんですよ。日本は簡単にパック入りのお肉が買えてすごい。殺す時に鶏の最後のあがきが、自分にダイレクトに伝わってくるんです、手、手に。生き物を殺すということはほんとにエネルギーがいること」

 セネガルでは家畜を殺すことは男性の仕事。普通は女性はしないので、まわりには驚かれたという。

地域で新しいことをはじめる難しさとぶつかる

 その後、現地で夫となるイブさんに出会い交際をはじめたが、青年海外協力隊の任期を経て、一旦日本へ帰ってきた。しかし、3.11をきっかけにまたアフリカに戻ることにする。その頃には結婚もし、長男のノア君も産まれていた。夫婦でカシューナッツ農園を始めようと準備していたが、そろそろ始められそうだという時に、ノア君が日本の学校に行きたいと言い始める。セネガルで暮らしたい気持ちがあったが、子どもの気持ちを尊重して日本で暮らすことにした。

「日本に住むなら何をしようかなって。農業やりたかったけど、もう40前だから今やらなかったらできないと思いました」

 昔、放牧養豚の話を聞いたことをふと思い出したという。地域の残飯も活かせるし、いいかもしれないと山口と長崎の放牧養豚場を訪ねた。帰ってきてからは、さっそく豚を飼う土地を探し始めた。島にはたくさん土地が余っていると思っていたが、現実はそう甘くないものだ。町の推進もあり、オリーブの植樹が増え、土地は簡単には見つからなくなっていた。それでもどうにか昔豚を飼っていた近所の人に土地を借りられることになり、一念発起して、ようやく養豚をはじめたものの、周囲の目は冷たかった。

「はじめは豚をただ3頭飼っているだけなのに、虫がいっぱい増えるんじゃないかとか、川を汚すんじゃないかとかいろいろ言われました。地区の行事に行っても、私に近づかないんですよ、誰も!目も合わさない。」

 ものすごく腹は立ったが、島に帰ってくることはそういうことだと覚悟はしていた。

「もし自分が養豚を辞めてしまってもだれかが出来るように、放牧養豚にいいイメージが残せれたらいいなと思うんです」

 なにくそ精神で頑張った。

▲寒くて干し草に埋もれる豚。

 今では、反対していた近所の人も豚肉を買ってくれるようになった。「これ豚食べるんか」と果物や野菜を持ってきて、豚にやってくれることもある。

「確かに家畜を飼えば、匂いがするのは当たり前。それでも自分たちは家畜を食べるので、どんな風に生きているか、もっと知ってほしい。彼らだって食べるのも、寝るのも好きだし、仲間とスキンシップや、喧嘩もする。あぁ、本当に人間と同じように生きてるんだなというのを見て感じてもらいたい。そしたらもう少しお肉も『硬いな』とか言わずにどんな部位でも大切に食べてくれるんじゃないかな」

 はじめは肉の味を安定させることも大変だったという。もらった残飯を気にせず全部豚に食べさせていると、魚が多い時は肉が魚臭くなったり、獣臭がすることもあった。育ち盛りでカルシウムが必要な子豚は、まだエサが肉の風味に影響しない。今は魚は子豚に食べさせるなどして、もらったエサは全部活かしきるようにしている。

効率が悪くても時間をかけて自然に育てる

 島でも昔は副業として養豚をしている農家は多かった。しかし、次第にお金をかけて設備を整えないと豚が飼えない仕組みになり、どんどんみんな辞めていった。今は100頭以上飼育するのであれば、浄化槽の設置が義務づけられているという。鈴木さんは一人でも回せるように現在50頭弱の豚を飼っている。エサ代は地域の残飯を使っているので抑えられる。肉は屠畜場に出し戻ってきたら自分で販売もする。それで1頭あたりの売り上げは約10万円だ。

▲どの部位も1グラム2円の量り売り。月に2回のペースで販売している。


しかし、それでも経費を差し引くと純利益は3分の2になるそう。エサに混ぜる米ぬかやくず米代、屠畜料、島外のお客さんへの肉の配送料に、豚を屠畜場に連れて行く際のフェリー代やエサを集めるのにかかるガソリン代なども必要だ。平均的な養豚農家の純利益は豚1頭50kgの肉でだいたい2000円〜3000円という。これでは辞める農家も多いはずだ。大規模な養豚場であれば、さらに人権費や設備投資にお金がかかる。集団で飼うと、病気にもなりやすく、予防接種や抗生剤などの薬代もいる。早く大きく育てないと人件費もどんどんかさむ。だから、できるだけ動かないように薄暗い中で活動を控えさせるように飼って、カロリーの高いエサでぐんぐん大きくさせるという。

「すごく効率的な飼い方だなぁとは思います。でも、昔の本を読むと、やっぱりヨーロッパや沖縄でも一年かけて豚を育てて食べていたと書いてあるから、やっぱりうちぐらいのゆっくりしたペースが自然な流れなんだろうな」

 一般的な養豚は生後6、7ヶ月、110kg〜130kgで出荷される。それに対し鈴木さんの放牧養豚では1年かけてそれくらいの体重に近づけていく。与えているエサのカロリーが低いので一般の養豚より太るのに2倍の時間がかかるという。

生きることの本質を問う

 設備が壊れて修繕したりトラブルもあるものの、放牧養豚をはじめて5年、生業として成り立ちそうになって来た。

「今は実家に住んでいるから、家賃はかからないし、光熱費も甘えてるから、どうにか。今年はパソコンが壊れて買い換えたからマイナスですけどね、ははは!基本的に入ったお金は生活費も含めると消えて全然貯金ができない状態。だから、月4頭の販売を5頭にできたらいいなっていう想いはあります。そのためには土地を探さないと」

 はっきりいえばパートに出た方が稼げる。それでも鈴木さんが放牧養豚をする理由はどこにあるのだろう。

「子供達が将来目まぐるしく変わる時代に生きる大人になると思うので、自分で考えて仕事をつくり出せる人間になってほしいというのがまずあります。そのためには自分でやって見せないと。うちはお金をかけて子供を育てることはできないけど、できる範囲でベストな環境を作ってあげられるとしたら、自分の生き方で見せてあげるくらいかなと思うんです」

 なければ、あるもので自分たちでつくる。鈴木さんの養豚場はほとんど手製だ。エサを炊く釜も豚舎もイブさんが廃材やブロックを使って作った。

▲廃材でつくった滑り台。子供が大きくなって使わなくなったら壊して薪に使う。

「今、社会は経済優先になっているけれど、もっと大切なことが忘れられている。そのことを豚をきっかけにもう一回光を当てたい。今はみんなグルメになってる。美味しさとか、値段だけに意識を向けずに、人間と同じように生きていた命をいただくということはどういうことかを感じてほしい」

▲肉の配達とともに想いを伝えるために配布しているお便りは、もう82号となる。

「循環」というキーワードも鈴木さんは大切にしている。

「豚が地域の残飯を食べて大きくなり、お肉になって、また地域の食卓に回っていくという循環は本当にいいなって思います。おじいちゃんがお孫さんを連れて豚を見に来てくれることもあるんですけど『小さい頃はこんな飼い方してたんだ』とか話をしていて、豚がきっかけで切れそうになっていた新しい繋がりができることもうれしいんですよね」

 もう経済が右肩上がりの時代は終わった。次を生きる世代のために鈴木さんは放牧養豚を通して光を送る。


(2019年11月12日に取材)

鈴木農園Facebook

鈴木農園note

*どの部位も1g2円の量り売り。島内は直接配達。島外への発送も可。(ゆうパックのチルド)



文・写真 坊野 美絵

フリーライター
1987年大阪生まれ。2013年から小豆島在住。
HP:文と写真



 

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