75歳になりました 1 /平野公子
われわれは75歳になると、みな後期高齢者と呼ばれる。ハイ、ココからは立派に年寄りですよ、線ね。別に音声でそう呼ばれはしないけど、役所の書き物類にはそう記載されている。誰がラインを引いたのだかしらないが、確かにね、75歳だねとうなづける。生物としての成立単位である億万の細胞及び体内脳内仕組みのすみずみまでガタがくるのがこの年齢、というわけね。おのれがつくづく終わりに近いイキモノだと気づく昨今、いや体の方から気づかせてくれるというのが実際なのだ。
まず足からくる。膝が痛い、腰が痛い、すぐつまずく、この私がヨタヨタ歩きにいつの間に?! 杖があると楽になるなんて。そのあと、眼、耳、匂い、味、触感の全てがゆるーーく精度落ちて行く。言うときますが別に悲しんでいません。むしろ面白がっています、はい。
はげしく落ちたのが、私の場合は眼だ。まさか緑内障になるとは思いもよらなかった。PC作業が仕事の基となるので、これにはかなり焦った。3年間に癌になったときよりガックリだ。眼は自分では、その不具合になかなか気がつかないし、数年前の白内障の手術だって痛かったしなぁ。
医院のドアをたたくのにひるむ。が、一刻の猶予もないのがわかる、眼が霞む、ショボショボする、痛いなどなど。同じ医者にずっとおつきあいいただきたいので、転勤の多い大きな病院へ行きたくなかった。で、この一年、家の近くの町の眼科医院へ通っている。現在は投薬治療と、毎月一度の検診(視力、眼圧、視野検査)など。
ある日。
「あら、ちょっと進行してますね。」
「先生、わたしはどのくらいで眼がみえなくなるんですか?」
「誰が見えなくなるなんて言いました。」
「いえ、緑内障は失明にいたる、なんていわれてますから。」
「平野サン、勝手に思わないでね。寿命が終わるまで見えますよ。そのためにココに来てるんでしょ。」
無駄口のない、はきはきしゃきしゃきした女医さんで、ほんと信頼できます。小さい規模でいいので専門の医者が町の中に、あちこちにいて欲しい。来週は眼の医院からワンブロック東にある、整形外科に膝のリハビリに行く。ここはここで面白いとこです。それは次回に。
平野公子
メディアプロデューサー
「マルテの学校」企画運営
https://twitter.com/sora_kita
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