草原からの手紙/佐藤友理

「本」というと、出版され本屋に並び、たくさんの人に読まれることを想定して作られる「モノ」、というイメージが強い気がするけれど、本来はそうではないのだなと気づかされる。この本は、「伝えたい相手に言葉を綴る」ことの原点のようだと思った。

タイトルのとおり本書は、著者の寺井暁子さんが、旅の日々の中でパートナーの南原さんに宛てて綴った「手紙」のような文章がベースになっている。

寺井さんの旅は、マサイの大地を歩く旅。

130年前、ヨーロッパ人探検家のジョゼフ・トムソンは、当時未開の地とされていたマサイの大地の横断に成功した。そして現在、彼が辿った道を歩きたいと長年夢見てきたマサイの年寄りエゼキエルが企画したウォークに、寺井さんが参加したのだ。

自分のホームから遠く離れた場所で、人と出会い、時間をともにしながら感じたこと、そして大切な人への言葉が綴られている。

わたしは旅に出ると、普段の何倍も、頭の中に言葉があふれる。新鮮な景色や考えに触れると、驚きや気づきが次から次へと生まれてくる。ぐらぐらと心を揺さぶられたり、ざわざわと胸が騒いだりして、書き留めておけないスピートでぐるぐる感情が変化し、それを観察するだけでも忙しい。ときには何かの拍子に、日常をガラリと変えてしまうかもしれないような大発見に出会ったり、ものすごい奇跡に気づいてしまったりもする。

そうやって旅の中で生まれる感情は、あらゆるしがらみが削ぎ落とされて、濾過されて、純度が高くなっている気がするのだ。自分でもびっくりするくらい、素直な気持ちが浮かび上がってきて、大切なものの存在がどんどん大きくなり、どうでもよいことが本当にどうでもよくなってくる。

この本にはそんな、寺井さんの濾過されたまっすぐな感情が、そのまま閉じ込められているような気がした。

“両手を広げて、自分自身を縛ってしまっている意識をしなやかに振りほどいて、軽やかに人や可能性の中に入っていきたい。心のままに。

新しい物語の始まりとなるかもしれない言葉や仕草を、恐れることなく発せるようになりたいと思ったのです。柔らかく、滑らかに。”

(「踊ること」より)

——言葉のひとつひとつに、旅中の純度を感じる。

そしてもう一冊、『波の音、雲の行方』という本のことが、わたしはどうしても忘れられない。

その本は、お祖父さんが亡くなったことを知ってから葬儀でお別れをするまでの数日間のうちに、寺井さんが寝る間も惜しんで書き上げたものだ。たった一人のために、しかも棺桶に入れるために書かれた。最初につくった一冊はお祖父さんのところに行ってしまったので、自分の手元にも置いておこうと再度注文した一冊を、寺井さんが持っていたのだ。

以前BOOK MARUTEで「草原からの手紙」の出版記念イベントを開催させてもらった際にその話を聞き、お願いして読ませてもらった。人の手紙をこっそりと盗み読むようで、ちょっと緊張した。

書かれていたのは、お祖父さんと過ごした幼い頃の記憶と、大人になってからの想い出。言葉のやり取り。今の自分に与えた影響。どんなに大きな存在だったかということ。そして亡くなってからのこと。どうしたらよいかわからないほどの深い悲しみと、それを分け合える人がいる心強さ。

読み終えると、心につっかえていたものが柔らかく溶けていき、温かいものが終わりなく込み上げてきた。誰に見せるでもなく、亡くなってしまったたった一人の大切な人のためだけに書いた文章。そうやって、純粋に「伝えたい」という気持ちだけで本を書けるのだと教えてもらった。

大切な人にまっすぐに、飾らない気持ちを伝える以上に大切なことなんて、もしかしたらないんじゃないだろうか。なんだかとても大事な、大きな発見をしたような気持ちになり、一人で静かに興奮した。

「物書きという仕事を選んだ私が、葬儀までに出来ることと言えば、やはり書くことしかないのだと思う。」という一文は、わたしの中にずしんと落ちた。(のでメモしておいた。)

自分の思いを人に伝える手段を、わたしも持ちたいと思う。

伝えたいことがあり、それを膨大なエネルギーをかけて書く人がいて、それが形となったものが本なのだ。だから本屋は、ただのモノを扱う店ではない。

そんな当たり前のことがすっと腑に落ちて、背筋が伸びる思い。




佐藤友理
1988年宮城県生まれ。縁あって移り住んだ香川県で、ギャラリー併設の本屋BOOK MARÜTEの店長をつとめた後、2017年秋、故郷である東北に拠点をうつす(予定ですが、現在は長野県の山小屋で出稼ぎ中)。本のある空間をつくるべく模索中の日々。

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