わたしのカレー/大塚智穂

私が子供の頃、近所にインドカレー屋さんができた。

コックさんはみんなインド人で、当時としては本場のカレーが食べられる珍しいお店だった。メニューには「カリー」と表記されており、本場のスパイスをブレンドして作られたスパイシーなカリーを初めて食べた時は「これがインドカリーか…」と、そのスパイシーさに衝撃を受けたのを覚えている。

高校生になり、そのインドカレー屋さんでアルバイトを始めた。インド人だと思っていたコックさんはほとんどがネパール人で、インド人の方が少なかった。私はコックさんと仲良くなり、片言の日本語と片言の英語でやり取りをしていた。そんな中、1人のコックさんがダンボールにボールペンで描いた絵を見せてくれた。

「チホジ、コレ、ネパールノヤマネ」

※ジ…さんという意

ボールペンで描かれた山は頂上が尖っていて、麓には花が咲いている。

「これ、なんていうなまえのやま?」

「チョモランマネ」

と言って、その絵を私にくれた。

「ネパール、トテモイイトコロ、ホントニイイ」

その時、死ぬまでに1度はネパールへ行こうと心に決めた。

それから20年近くが経った2009年2月、私はネパールを訪れていた。

ネパールはインドと中国に挟まれている小さな国で、ヒマラヤ山脈があるので観光業は盛んだが、それ以外の産業らしい産業がないためアジアの中でも貧しい国だ。私が訪れた2月は寒暖の差が激しく、日中は陽射しも強く暑いくらいだが、朝晩はぐっと冷え込んだ。私はとても寒くて靴下を2枚重ね履きした上に、モコモコのブーツを履いていた。その頃はちょうど乾季にあたり、水力発電が主流のネパールでは大規模な停電が当たり前。エリアごとに1日数時間だけ電気が通る。そのため、停電中はシャワーが水になったり、トイレの水すら流れない状況だった。それでも、首都カトマンズのタメル地区は観光客の多くが滞在する。多くのホテルや飲食店やお土産屋さんが軒を連ね、レストランも様々でちょっとおかしな日本食だって食べられた。雑多な道は多くの人や車、リキシャが行き交い、野良犬や牛もウロウロしていた。砂埃が舞い上がり、ひっきりなしにクラクションが鳴る。都会の喧騒を十分味わったあと、知人宅のある「ティミ」という地区へ移動した。

ティミの中でも奥へ奥へ入る。

ニワトリが道でウロウロしている。牛やヤギも多い。

ボコボコで土が剥き出しの道を進んでいくと、友人宅へついた。

近所にちらほら家はあるが、まわりにはお店もなく、とても静かなところだった。

菜の花が沢山咲いていた。遠くにはうっすら山があるようだったが霞んでいてよく見えない。

とにかく広く何もないところだった。

食事をごちそうになった。

ネパールで一般的によく食べられる「ダルバートタルカリ」はダル…豆スープ、バート…ごはん、タルカリ…おかずになる。日本で言うお味噌汁とごはん、おかずといった感じで、家庭で食べるダルバートはとても美味しかった。毎日でも食べられる。家庭で食べるごはんが美味しいのは、どこの国でも共通だろうなと思った。食べているとどんどん勧めてくる。なんなら、ふらりと立ち寄った人にも「ごはん食べたか?」と聞き、「食べてない」と言われれば食事を振る舞っていた。「ごはん食べた?」は挨拶みたいなものらしく、それにも驚いた。どれも美味しかったので、カレーの作り方を教えてもらった。新鮮なスパイスを使うことがポイントだけれど、味付けはとてもシンプル。でも、本当に美味しかった。

家の外に出ると、外国人(わたしたち)が珍しいのか、近所の人がちらりとこちらを見る。「ナマステー」と挨拶をすると、みんな恥ずかしそうに返してくれる。ふと足元に目をやると、素足にサンダルをはいている人がほとんどで、裸足で歩いている子供もいた。大きな目をキラキラさせている子供たちもニコニコ笑顔で集ってくる。豊かさってなんだろうと思った。

タメル地区へ戻る日の朝、霞んでいた景色が姿を現した。菜の花畑が遠くまで続き、もっともっと奥に姿をあらわしたのは大きな大きな真っ白な山。チョモランマだった。ダンボールに描いてくれた絵が頭に浮かんだ。コックさんが言っていたように、ネパールは素晴らしいところだった。

先日、イノシシのお肉を分けていただいたので、ホールスパイスと庭に植えてあるレモンの葉を入れ圧力鍋でホロホロになるまで炊き、色々スパイスはペーストにして最後に合せる。今が旬のスダチもざっくりカットして火を止めてから最後に鍋へ。私の作るカレーの基本は、うろ覚えのネパールカレー。あれから随分経つのでかなりアレンジされているけれど、カレーを作るとネパールを思い出す。

最後にネパールを訪れたのは2012年。

「豊かさとは何か」を教えてくれた国、ネパール。

たった5年だけれど、町並みも随分変ってしまっただろうな。

願うのは、今も多くの笑顔がありますように。

いつかまた行きたい国、ネパール。

大塚智穂

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