カンナムスタイルと米軍基地/山本佳奈子

 毎日出勤時に通る道沿いに、那覇軍港がある。軍港というからには、米軍が使う港であり、フェンスで囲まれている。そのフェンスにはたまに、沖縄本島内の各基地で開催されるフリーマーケットやビーチパーティー、コミックマーケットなどのポップな垂れ幕広告が下がっていて、いつも気になっていた。米軍基地エリアの一部が開放されて、一般人が入れるらしい。私はまだ基地に入ってみたことがないのだ。

 そのなかにひときわ私の興味を引く催し物があって、「トリイステーション サマーパーティー」と書かれた広告だった。浦添市にあるキャンプキンザー、宜野湾のキャンプフォスターなどでは定期的にフリーマーケットが行われ一般に開放されていることを知っていた。トリイステーションは、その名の通り巨大な鳥居がゲートに立っている米軍基地であり、読谷村に位置する。トリイビーチと呼ばれる綺麗なビーチがあって、グリーンベレーと呼ばれる特殊部隊が配属されているらしい。

 その広告を見た時にちょうど車に同乗していた同僚のHさんに「一緒に行ってみませんか?」と聞いてみると、「行く行く」と、軽い返事が返ってきた。Hさんは、今年の4月から沖縄に移り住んで私と同じ職場で働いている。高江ヘリパッド問題が深刻なこの時期に、沖縄に住むウチナンチュを誘うことは辛いしできないと思っていた。Hさんが軽ノリの返事をくれたので、私は友人に車を借りる手配をして、トリイステーションまでの道程を調べて、後にHさんに集合時間と場所を連絡した。「おっけー」と、また軽い返事が返ってきた。

 読谷村は嘉手納よりも北側にあり、車で2時間ほどかかるのではないかと予想していたけれど、那覇市内からたった1時間ちょっとで到着した。仕事の話や世間話をしながら車を走らせてきた私とHさんは、ついにトリイステーションのゲートをくぐる。このゲートは裏門のようで、巨大な鳥居はここにはない。「サマーパーティー入り口」と書いてある。ゲート入り口に立っていた警備員は、肌の色や出で立ちからするとアメリカ人ではなかったように見える。約500mほど、両脇を芝生に挟まれたゆるいカーブを進む。普段はだだっぴろい広場であると思われる場所が臨時駐車場になっており、警備灯を持った黒人の警備員が20mほど先に立っている。警備員は腕を大きくいそがしく振って私に停め方を指示するが、どう停めて欲しいのかがよくわからない。車の中と外では言葉による会話ができない。何回も私がジェスチャーで確認すると、向こうも何回もジェスチャーで停め方を示してくれ、やっと理解ができて、私は親指を立ててOKのサインをする。黒人も私たちも、なぜかなかなか伝わらなかった互いのジェスチャーに笑う。無事に駐車。

 車を降りると、まだ日没してすぐ。綺麗な夕空とビーチが目の前に現れた。これがトリイビーチらしい。米軍関係者の保養地であり、観光客に開放されていない基地の中の閉ざされたビーチ。ゴミなんてほとんどない。砂もきれいだ。訪れる人数が少ないからこその美しさかもしれない。

 私もHさんも、気持ちを高ぶらせながら「わーすごいー、むっちゃきれいー」と浮かれてビーチのイベント会場の方へ足早に歩いていく。ここでHさんが打ち明ける。「今日、基地の中のフリマに行くのかと思ってた。買い物すると思ってたから、コンバースで来たのに。」と、靴を指差す。

 最初の最初、私がHさんに「一緒に行ってみませんか?」と聞いたとき、どういったイベントに私が行ってみたいのか、ちゃんと説明したはずだ。場所も「基地の中のビーチだ」と説明した。私はビーチサンダルで来た。Hさんは、残念ながら砂浜をコンバースで歩く羽目になり、さぞかし砂がたくさん靴の中に入ってしまっただろう。残念だ。

 弧を描くビーチに沿って、屋台が背中合わせにずらっと並んでいる。約30店舗ほどあるだろうか。沖縄の地ビールバー“ヘリオスパブ”や、ハンバーガー屋台、タコス屋台、唐揚げ、フィリピン料理屋台まで。フィリピンが大好きなHさんがフィリピン料理屋台を物色し始める。バナナを揚げた食べ物があるらしい。料金を聞いてみる。「3ピースで5ドル。5ピースで7ドル」と店員のお姉さんは言う。少し困惑する。メニュー表にもドル表記されている。ここは、米軍基地内だ。もしかしたら、米ドルしか使えないのか?Hさんにすぐさま報告する。「ドルで書いてあります!3ピースで5ドル。これ、もしドルしか使えなかったら、私たち何も飲み食いできませんよ……」

 「Do you accept Japanese yen?」恐る恐る、円でも支払えるのか、と聞いてみた。間髪入れずに「3ピースで500円」と答えが返ってきた。そうだ。基地のご近所さんや沖縄県民に基地の一部を開放するパーティーだ。日本円が使えないなんてことはなく、安堵した。ちなみに、沖縄の各地にある“ユニオン”というスーパーマーケットでは、レジ横に「$1=¥100」と書かれた紙が貼られてあり、米ドルも使えるらしい。

 ずらっと並んだ屋台の端にテーブルが1台置いてある。買ったバナナの揚げ物と飲み物を置いて少しここで飲食をする。バナナの揚げ物は、東南アジアで獲れる甘い小さいバナナ。たっぷり練乳のようなものがかかっていて、甘くて美味しい。

 続々と人が増えてくる。並んだ屋台の向こう側には、幅15mほどのステージがセットされていて、十分なパワーを備えた音響システムでDJが音楽をかけている。会場内には要所要所にセキュリティガードが立っていて、迷彩の軍服やミリタリーポリスの制服を着ている。間近で見る米軍人の彼ら・彼女らの強靭な筋肉を眺めて感心した。

 ビーチにはたくさんの人が座っていて、沖縄県民の家族連れも多い。夜のビーチでのんびりとゆんたくしている。陣取りも兼ねているようで、今日のクライマックスで打ち上げられる花火を良い場所で見たいのだろう。沖縄在住と思われる若い女の子同士のグループも多く、彼女たちは水着姿でビーチ周辺できゃっきゃと騒ぐ。

 若い米軍人たちは、どでかいビールのピッチャーを勢い良く飲み干していく。厳しい訓練の日々がケとするならば、今日は彼らにとってはハレの日なんだろう。安っぽいLEDのきらきら光る何かを手に持ってはしゃいでいる。少し歳をとっていそうな軍人たちは、あらゆる場所で「おー、久しぶり。最近どう?」というような会話を落ち着いた様子でかわしている。在沖米軍内でも、定期的に部署移動があるのかもしれない。久々に旧友に会ったような顔をして、握手を交わしハグをする米軍人たち。彼ら・彼女らも、サラリーマンと言えるのかもしれない。

 Hさんは、「トイレ行ってくるわ」と言ってどこかの方向へ歩いて行った。空はどっぷりと暗くなった。遠くのステージがギラギラと照明で照らされている様子をぼーっと眺める。流れてくる曲は、おおむね、AFN(*American Forces Networkという名前の米軍向けFMラジオ。昔はFar East Networkという名前だった。)でかかるようなアメリカのベタなヒット曲ばかりだ。

 「ステージ前、人集まってきたよ」と、トイレに行ったHさんからメッセージが届く。Hさんはクラブが大好きで、こういうときは自分が好きな音楽であろうがなかろうが、音のなる方向へ近づいていく。私もステージ前へ行くかどうか少し悩んでいると、Hさんが戻ってきた。Hさんとステージ前へ行ってみることにする。

 ステージの上には、後方にDJブースが設置されていて、お立ち台のようなせり出た部分で一人の黒人男性と一人の黒人女性が踊りまくっている。黒人女性は、片手に大きな水鉄砲を抱えていて、ときどき水鉄砲を客に向かって撃ちまくる。黒人男性はマイク片手に客をあおる。到着したときはほとんどステージ前に人がいなかったのに、今は200人ほどが集まって騒いでいる。私の周辺では、ヒスパニック系の家族や、若い米軍男子たち、若い沖縄の女性たちが踊っている。黒人女性が撃つ水鉄砲に当たらないぐらいの距離を保ちながらステージ前をうろうろして動画を撮ったりしてみる。すぐそこの砂浜で足を海水に浸けてみる。もう夜だけれど、思った以上に海水は温かかった。夜になっても泳げそうだ。

 DJは30分おきぐらいで交代しているようだが、相も変わらず定番のアメリカンヒットチャートがかかる。ベタな曲のほうがいいのだ。こんな学園祭のような米軍たちの夏のパーティーで、ストイックなテクノやハウス、しびれるようなHIPHOPは必要とされていない。みんなが知ってる曲で騒げればいいのだ。マイクを持ってあおる黒人男性は度々「アリガトー!」と日本語で叫ぶ。ステージ前の沖縄県民たちも酒を飲んで盛り上がっている。

 この、トリイステーションサマーパーティーにおいて、DJが何度もかけた曲がある。一人のDJが何度もかけたのではなく、何人ものDJがここぞという盛り上げるタイミングでかけた曲。韓国発、全世界で大ヒットした、PSYの『カンナムスタイル』だ。ジャンルで言うと、ここ数年で突如音楽ジャンルとして認識されたEDMだろう。エレクトリック・ダンス・ミュージックの略であり、直訳すると「電子ダンス音楽」だが、概ね4つ打ちで、えぐいエフェクトやシンセ音を使い、キャッチーなメロディやフレーズが入った曲を指すことが多い。ステージ前で踊る人たちの比率は、アメリカ人が6割ほど、沖縄に住む日本国籍と思われる人たちが4割ほど。この『カンナムスタイル』がかかると見事にその全員が反応し、盛り上がっていた。日本国、沖縄県の中の、米軍基地で、国籍に関係なく一番人を惹きつけた曲は韓国生まれだった。

 私がこのPSYというポップスターと『カンナムスタイル』を知ったのは、数年前の香港だった。香港の友人のスタジオで、だらだらと友人たちと飲み明かしていた。iPhoneをいじっていた友人が、いきなり笑い出した。みんなでその画面を覗き込んでみると、友人はYouTubeを見ていた。PSY『カンナムスタイル』のミュージックビデオだった。ちょうどそのとき、香港でその映像が話題になり始めたようで、「これなに?」「韓国のシンガーらしい」「なんなんだコイツの動き」「すっごい変」「ウケる」などとみんな言葉を交わし、大爆笑していた。香港では無名だった韓国シンガーPSYが香港にネットを介して上陸したその数週間後、やはり日本でもPSYのミュージックビデオが話題になり始めた。

 私はPSYなんて好きではない。そもそもEDMが好きではないし、下品なまでのえぐいシンセ音は心底苦手である。だが『カンナムスタイル』は、香港で最初聴いたときから、曲の細部と映像が頭にこびりついてしまった。確かに良くできた曲だと思う。ベースやリズムはきちんとグルーヴを出しながらも、PSYのラップスタイルの歌は平坦。日本語と韓国語は言葉の音感がとても似ていて、あまり抑揚がいらない。音符でいうと、日本語や韓国語は延々に八分音符を淡々と刻んでいるお経のような感じだが、英語は抑揚を付けてリズムに躍動感をもたせないと通じない時もある。PSYは敢えてグルーヴ感のある欧米的EDMに、グルーヴを排除した八分音符ラップを乗せる。Aメロ、Bメロ、サビ、とアジア歌謡っぽい展開をしながらも、掛け声的な「Oh sexy lady」や「Hey!」といった単語は英語でリズミカルに入る。アメリカ人からすると非常に覚えやすく、かつ、オリエンタリズムも感じる仕様だ。例えば、曲のリズムや展開までもがアジア的歌謡曲の範ちゅうに収まっていたとすると、オリエンタリズムが強すぎて欧米人にとっては「辺境の音楽」でしかない。しかし、PSYは欧米のベースにオリエンタリズムを少しだけ加える絶妙なバランスをやってのけたのだ。だから、全世界、特に欧米で売れたのだろう。

 PSYのプロフィールを見てみると、大学はボストン大学、バークリー音楽大学で学んだそうだ。アメリカで音楽を学んでいるということであれば、彼がアメリカ人のツボを良く押さえていることも納得できた。それを意識的にやってヒットした曲がこの曲なのかどうかはわからないが。

 直立不動でステージを眺めていた私とHさんは、『カンナムスタイル』がかかるたびに「古いですよね」と苦笑する。この曲が流行ったのはもう4年も前だ。古いけれど、周囲のアメリカ人も日本人も、『カンナムスタイル』で一気に笑顔になる。その様子を眺めていると、平和ってこういうことを言うのかもしれない、と思った。しかし複雑だな、と同時に思う。沖縄の基地の中で開かれたパーティーで、アメリカ人がDJをし、韓国シンガーの曲が一番盛り上がる。そんな韓国にも、米軍基地がある。アメリカが基地を置きコントロールしている地で生まれた曲が、アメリカ人に受け入れられ、その曲がほかのコントロールしている地でも流布されていく。(実際に『カンナムスタイル』が日本に入った経緯は韓国からの直輸入ではなく、アメリカを含む欧米を席巻した後だった。)世の中は、国境を越えて、どんどんかき混ぜられていく。何かの概念やイメージに縛られていたら、どんどん置いていかれる。

 ステージ横から観客まで見渡せる喫煙所でタバコを吸いながら、『カンナムスタイル』に沸く人たちを眺める。このボーダーやルーツに無頓着な平和がいつまでも続いて欲しいと思った。誤解を恐れずに言えば、私は、ボーダーやルーツへのこだわりこそが、あらゆる不幸を招いていると思う。

 盛り上がり続ける人たちをあとに、私たちはそろそろトリイステーションを出ることにした。打ち上げ花火まで待つ体力はなかった。Hさんは、芝生の上を歩きながら「あれ、フリーマーケット一つもなかったなあ」と冗談を言う。車を走らせると、これからサマーパーティーへ向かうたくさんのアメリカ人、日本人とすれ違う。まだまだ時間は早いので、これからもっとパーティーは盛り上がるんだろう。その後、『カンナムスタイル』がいったい何回かかり、いくつの笑顔が生まれたんだろうか。




山本佳奈子
アジアの音楽、カルチャー、アートを取材し発信するOffshore主宰。 主に社会と交わる表現や、ノイズ音楽、即興音楽などに焦点をあて、執筆とイベント企画制作を行う。尼崎市出身、那覇市在住。
http://www.offshore-mcc.net

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