Y君の苦悩/山本佳奈子
沖縄県那覇市に住んで、1年と2ヶ月目。沖縄に来てからというもの、日々忙しい。仕事で那覇に移住し日常生活を送っていると、あのヤシの木の並ぶ白い砂浜や青い海が、すぐそこにあるにも関わらず、遠く、遠く、夢の世界のように思える。朝定時に出勤しようとモノレールに乗車すると、東京の密度と同じほどの満員車両に乗り込むことになり、夕方五時過ぎに一斉に帰宅するサラリーマンたちを沖縄県庁前付近で眺めていると、自分がかのリゾート地沖縄にいるとは到底思えない。大阪とそんなに変わらないじゃないか。沖縄というその二文字の発する鮮やかなイメージはとても強く、本土の都会とはまったく違うのではないかという期待もあったのだが、那覇市は大いに街、都会なのである。都会に大差はない。そして、たまに本土の知人や友人がリゾートを夢想して言う「ええなあ、沖縄暮らし」という言葉にイラっとする。沖縄に住んでいるからといって、ゆったり海を眺めたり自然を感じるような時間を作れてはいないのだ。
ただ、私が沖縄に来て生活の中で変わってしまったことといえば酒の量である。今までは、大阪市内から30分ほど電車に乗って帰らないといけない家に住んでいたが、今は那覇市の中心地まで自転車で10分。歩いて5分で行ける飲み屋もたくさんある。今、あなたは「沖縄の人は酒に強いからね」と思っただろう。沖縄の人が酒豪なんて思い込みは、大阪の人間に「毎日たこ焼き食べてるんでしょ?」と言っているようなもの。沖縄にも下戸の人はいくらでもいる。しかしまあ、アルコール度数30度の泡盛に親しみさえすれば、沖縄の夜が長くなることは確実だ。終電を気にすることもないので、飲みに行く回数は確実に増えたし、早起きに弱い自分を過信して飲みすぎることもある。
私が一番贔屓にしているバーは自宅から歩いてたった10分のところにある。国際通りの入り口に位置しているそのバーは、かつてスナックだったことをまったく隠さない居抜き仕様。壁には沖縄出身アーティストの現代アート的なよくわからない紙がぐしゃぐしゃと貼ってあり、私はオーナーのY君に「これ、なんか奇妙やし外したら?」と言ってみたが外さない。角に置いてあるソファは座り心地が良いわけでも悪いわけでもなく、その白いレザーもどきはますます以前のスナックだっただろう空間を具体的にイメージさせる。だいたい、ここで頼むお酒は泡盛の水割りかハイボール。泡盛の水割りはたっぷりと大グラスに泡盛と水が半々ぐらいの割合で出てくる。この店に一人で来たら、カウンターに座りたくなる。サブカルチャーも、いろんな音楽も知っているオーナーY君と、有益な情報交換をしたりしなかったり。他のお客さんが来ていたら、そのお客さんの話に乗ったり。たまに、私が苦手なタイプのお客さんがカウンターに座っているときもある。そういうときは、一人でいろいろ思いを巡らしながら、たまに相槌を打ったり、外を眺めたりしている。そうそう、この店はガラス張りで、外を見ると沖縄唯一の電車、モノレールの駅が見える。夜十一時過ぎにこの店に行くと、駅が消灯する瞬間に立ち会えて、そのあとは点検が始まったりなんかする。ひどいときは、だんだん空が白くなり始めて、またモノレールが忙しく走る瞬間を見られたりする。モノレール駅に向かうサラリーマンが見えるようになると、私は「カーテン閉めて」とY君に言う。通勤する人たちを眺めながら飲むなんてナンセンスだと思うからだ。でも、あるとき私と一緒に飲んでいた沖縄の友人は「通勤しているサラリーマンの姿を肴に飲みたいからカーテンを開けろ」と言っていた。大阪で30年以上過ごしてきた私にとって、沖縄では自分の常識を常識だと思うことが間違いだったりする。いろんな考えの人がいるものだ。
Y君は、最近面白がって私に沖縄弁を使ってくる。沖縄ではうちなーぐちと呼ばれる言葉で、単語単語が本土とまったく違う。山羊のことをヒージャーと呼ぶらしい。イライラをワジワジと言うらしい。他にも、Y君は私にいろんなうちなーぐちを教えてくれたが、あいにく飲んでいるときに教えられてもまったく覚えられない。私がいちいち「今、なんて言った?その言葉どういう意味?」と聞くので、Y君はうれしそうに「山本さん、それぐらいわかるでしょう。関西人だからってそんなに過剰に反応しないでくださいよ」と笑いながら言う。いやいや、私は本当にわからないのだ。仕事でたくさんの沖縄の人たちと付き合っているが、飲みの席で聞く言葉はおそらく自然な沖縄の地の言葉。「めんそーれ」や「はいさい」よりもリアルで、生きている言葉に聞こえる。
そんなY君とは良く音楽の話もする。ミュージシャンでもある彼は、沖縄出身であることにコンプレックスを抱いていたという。沖縄といえば、三線や沖縄音階が独特と言われていて、沖縄出身のアーティストというだけで沖縄ルーツ音楽との関連づけを余儀なくされる。彼は数年間本土で出稼ぎをしていたときにも、沖縄出身であることをできるだけ隠したかったと言っていた。沖縄音階や三線を使ったロックやポップスを、あらためて聴いてみたのはずいぶん最近らしい。何が彼や彼の世代を、「(沖縄出身であることが)恥ずかしい」と思わせるのか。よく、考えこんでしまう。本土の人間が想像する沖縄の伝統と文化。本土の人間が押しつける沖縄像。沖縄県が観光誘客のために打ち出す戦略。また、沖縄出身者が本土でアピールする沖縄ブランド。本土の私たちの世代の多くが、一人で着物を着ることができなかったり、能や狂言、文楽を見たことがなかったりするように、沖縄でも現代の一般の人たちは、本土の人となんら変わらない、フツーの暮らしを送っているのかもしれない。それに気づくことができたときに、皮肉かもしれないが、初めて沖縄生活を楽しめるようになった。やっと、裏の沖縄が見えたような気がしたのだ。ガイドブックや沖縄関連本に載っていない、沖縄の同世代が吐く本音、実態、ジレンマ。私はY君を信頼できるようになった。それから、私はY君と腹を割った話をするために、平日の人が多くなさそうな時間帯を選んで、そのバーに通っている。
山本佳奈子
アジアの音楽、カルチャー、アートを取材し発信するOffshore主宰。 主に社会と交わる表現や、ノイズ音楽、即興音楽などに焦点をあて、執筆とイベント企画制作を行う。尼崎市出身、那覇市在住。
http://www.offshore-mcc.net
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