湖と川/Nemu Kienzle

ヨーロッパのど真ん中にあるスイスには海がありません。そんなスイスから海に囲まれている小豆島とその島を愛する読者の方々に、海のない暮らしをお伝えします。

スイスには海がないかわりに湖と川がたくさん。湖と川のいいところは泳いだ後に塩水のべとべとが残らないこと。波がないから、いつでも泳げること。夏、汗をかいたらお昼休みに湖にバシャんと飛び込んで、乾いたらまた服を着て会社へ戻ることもできるのです。

スイスの古いオフィスビルには冷房がありません。数年前までは真夏でも涼しく、クーラーも扇風機さえもいらなかったそうです。でもいまは地球温暖化でスイスの夏もしっかり暑い。スイス人は、朝のひんやりした風が温風に変わる前に、全ての窓を閉め切って日が差し込まないようにブラインンドを閉める。真っ暗なオフィスでデスクランプを点けてモグラのように仕事。それでも室温が35℃近く上がると、さすがにマウスを握っている手が汗ですべり、徹夜で働いているみたいに頭がぼーっとしてきます。

ある日、あまりの暑さに耐えられず、デスク向かいのガブリエロくんとお昼休みに会社の近くにある川へ泳ぎに行くことにした。会社のトイレで服の下に水着を着て、タオルを持っていざ川へレッツゴー!!暑さでお喋りする気もなく、沈黙のまま黙々と炎天下の中を歩く。川辺につくと、脱いだ服を置いておく場所が見付からなくて、木の枝にひょいとかけた。(天女の羽衣みたいに誰にも服を持って行かれませんように)と願う。

石についたぬめぬめした苔で滑らないようにバランスをとりながら、つま先から徐々に川へ入る。首まで水に浸ると、ほてってむくれた体が水の冷たさでキュッとひきしまる。もう何日も雨が降っていないから川の流れも静かで、上流に向かって泳いでは流れにのってぷか~んと流れ降りたりを繰り返した。ガブリエロくんが「このまま遠くまで流れちゃいたいねぇ」とすてきな提案をしてくれた。

その時、スーツを入れたビニール袋を頭の上にのせたビジネスマンが数人おしゃべりをしながら、どんぶらこ、どんぶらこと上流から流れてきた。なるほど、脱いだ服を濡れないようにビニールにつつんでおけば、遠くまで流れても適当な場所で上陸して、服を着て会社に戻れる。「次回はビニール袋もって来よう!」ガブリエロくんと約束して、その日は引き揚げた。

残念なことに、その後ガブリエロくんと一緒に川を泳ぐことはなかった。会社を辞めて南アフリカで農業を始めてしまったからだ。そして偶然にも、オフィスの水漏れ修理に来た業者が天井パネル内に冷房空調機を発見した。いままでの、あの暑さに耐えてきた試練の日々は一体なんだったんだろう。それから数年後、わたしもその会社を去ったけれど、たまに暑い日に働いていると、ふとあの日のガブリエロくんの赤パンを思い出して懐かしい。



キンツレねむ

NYで知り合ったドイツ人と結婚してスイスに越してもう10年。職業はインテリアデザイナー。7年前にタイから養子に来たりりは、いつのまにかやんちゃでかっこいい小学校2年生。

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