僕と落語 -9/蒲敏樹
落語会の翌日、大概早めの船に乗って上方へ帰って行く歌之助師匠だが、今回は帰りをお昼過ぎまで遅らせて島観光に。二十四の瞳映画村、岬の分教場、碁石山、仕上げにジェラートを食べてから港までお送りした。快晴で気温が高かった上、珍しい事に二日酔いの歌之助師匠と弥太郎さん。ペットボトルの水を何本も空け、油汗が浮かんでいる。特に碁石山は長い石段と行場へと続く急傾斜の岩場があり、案内しながら少々申し訳ないような気分になった。二日酔いの原因は、前日会が終わってからの打ち上げにあるのだが、いや、よく呑んだ。生ビールを皮切りに、日本酒へ。歌之助師匠は夏場でも熱燗。僕は冷酒派。間に座った弥太郎さんはどちらも交互に。肴も旨く、進む進む。そして、よく呑んだ原因といえば、歌之助師匠の充実感だろうか。会が終わった会場でも、打ち上げの最中も、「いやー、いい会でした。聴き手がすごくいい。」とか「この会は長く続くと思いますよ。雰囲気が本当に良い。」「気持ちよく喋れました。」と、終始上機嫌であった。それは酒も進むというものである。
さて落語会当日、歌之助師匠は僕と同郷、郡上市出身の噺家の弥太郎さんを連れて現れた。弥太郎さんは丸顔で朴訥な雰囲気が漂う。同郷というだけで端から親密感が溢れるのが可笑しい。高座の準備をしながら少し話をするも、郷里を出てから長いので、さすがに郡上訛りは出なかった。お客さんの入りもまずまず。1回目と同程度の60人ちょいというところ。町内の他のイベントや防災訓練が重なった割には健闘したと思う。1回目からのリピーターさんも多く、開場の時点から既にアットホームな雰囲気に。1席目は弥太郎さんで「転失気」(てんしき)。お医者に「転失気は出ましたかな?」と聞かれた旦那が知ったかぶりがばれぬ様、奉公人に転失気の意味を尋ねさせる。若々しい爽やかな語り口である。登場人物もかなりの数出てくる噺だが、それぞれの味も出ていて面白い。余談ながら転失気とは結局「おなら」のことなのだが、この噺を聞いて以降我が家では、「今、転失気した?」などと使用している。皆さんの御家庭でもぜひ。
2席目は歌之助師匠で「青菜」。ご隠居宅で一仕事終えた植木屋が一杯ご馳走になるうち、ご隠居と奥さんの上品なやり取りに感心しきり。これを貧乏長屋の我が家でも再現しようと試みる。風呂に誘いに来た友人の大工を相手に、妻を押入れに押し込んだりのドタバタを描く。柳蔭、という江戸時代のカクテル(?)が出てくる。焼酎を味醂で割ったものだそうである。かつて味醂は高級品だったそうであるから、庭付きの邸宅に住むご隠居の贅沢であろう。井戸水で冷やしてあるとはいえ、焼酎にトロりとした味醂が混じる……。想像するだけで何やら口がモッタリしてくる。僕は、今夜もおそらくビールをプシュッと開ける筈であるが、うん、冷蔵庫のあるのは良い時代だ。
3席目、トリは再び歌之助師匠で「花筏」。地方での相撲興行を請け負った親方だが、肝心の看板力士の花筏が患ってしまい困ってしまう。顔つき、体つきが似た提灯職人を何とか口説き落とし、偽の花筏に仕立て上げて興行に繰り出す。相撲はとらなくていい、土俵入りだけという話であったのに、あろうことか千秋楽の結びの一番に引っ張り出されてしまう。やっぱり歌之助師匠。噺のテンポが抜群である。豊かな表情と相まって、物語が目の前に浮かび上がってくるようである。途中、行事が呼び出しをする所があるが、歌之助師匠の声の通りの良さを実感出来る箇所である。1回目の小豆寄席の「くっしゃみ講釈」でも思ったが、ああいう芝居がかった場面で一段と噺の切れが出てくる。ああ、歌之助師匠は良いなあと実感できる。
3回目の小豆寄席が終わった。我が家の壁には3回分のチラシが並んで貼り付けてある。歌之助師匠が高座でも言っていたが、普通3回目まではまずまず落語会は続くそうである。3回聴きに来ると、お客さんは落語が解ったような気分になって後が続かない。それで鍵を握るのは4回目の開催だと。しかし小豆寄席は大丈夫だと思う。笑いに満ちて、何度でも聴きたいお客さんが集まっている。
次回は来年2月。楽しみに待つべし。
写真:太田有紀
蒲 敏樹
1978年岐阜生まれ、2010年より小豆島。
波花堂塩屋&猟師&百姓。
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