僕と落語 -3/蒲敏樹

 小豆寄席の日程が5月22日で決まった。

会場はサンオリーブ和室を押さえ、チラシの制作も進む。

チラシのデザインを担当してくれたのは辰巳君。「ヤーミンジャパン」の名で仕事をする友人であり、誕生日は僕と同じ6月23日である。辰巳君は非常に勉強家で、この寄席のチラシ制作を依頼すると落語関係の文献を読み、YouTubeで落語の動画を観はじめた。更に、そんな辰巳君を見ていたのがその息子である。

「これ、おもろいわ」と呟く父親の側で、見よう見真似で落語を覚え始めた息子は、座布団を積み上げて一人なんちゃって落語会を開催するに至る。

 かくして父子を巻き込んだ小豆寄席のチラシは完成し、配布にかかる。一方で、僕のFacebook上でも告知を始めた。

▲第一回小豆寄席のチラシ


 本当にお客さんは来てくれるのか。ことここに至っても僕とかみさんはまだおっかなびっくりだったが、そんな不安をよそに予約の連絡が入り始めた。電話が鳴り、メールを受信し2週間ほども経つと50席の予約はほぼ埋まってきたのだ。意外な反応に驚く。ちょうど田植えの時期に重なり、毎日耕運機や田植え機を動かしていたので、一度などは水を張った田んぼのど真ん中で予約の電話を受けたほどだ。

 そして、当日。例のオリーブマラソンがあり、我が家から会場のサンオリーブまでの間は交通規制がある。で、早くに出て会場入りする。上がり性の僕は既にこの時点から緊張しはじめて、朝ごはんも喉を通らず、軽トラに積み込んだ荷物に何か忘れ物がないか気になって気になってしょうがない。会場入りしたものの、準備などすぐに済んでしまい、待ち時間が逆に身に堪える。かみさんに「顔、固まってるで。」と冷やかされた。やがて、師匠一行を福田港へ迎えに行ったかみさんが帰ってくる。

 「はじめまして、歌之助です。」

 「こんにちは。」

スーツケースを引きずった桂歌之助師匠と、桂そうばさんがやってきた。「遠いところを……。」と挨拶しながら、あれ、洋服の師匠を見るんは初めてやな。そういえばこんな近くで見るんも初めてや。とぼんやり考えていた。

あとは、もう上の空である。ぼんやり打ち合わせをし、ぼんやり会場のセッティングをしているうちにお客さんが入り始めた。

 師匠が持参したCDから太鼓の音が響き、僕は開演の挨拶に立つ。緊張は最高潮まで高まる。

「本日は落・・か、かこ・・」やっちまった。噛んじゃったよ。そこそこに挨拶を済ませて引き上げるのと入れ替わりに、桂そうばさんが高座に上る。ここで、ようやく落語会開催に漕ぎ着けたという実感が出てきた。そうばさんの噺に会場が賑やかに出来上がっていくのが分かる。一席目は『動物園』。新作である。動物園に虎の役でアルバイトで入った男のコミカルな噺。そして、ついに桂歌之助師匠の出番である。出囃子が響く中、ふすまの前でじっと俯いていた師匠は、高座へ踏み出す瞬間、背をシュンと伸ばして、穏やかだった目が引き締まって「噺家」の顔になった。

横で見ていた僕とかみさんは目を合わせ、「見たか、今の。」と頷きあった。

二席目は『時うどん』古典中の古典である。うどんをすする様子が本当に旨そうで大好きなネタだ。やっぱり上手い。歌之助師匠を呼べて本当に良かった。会場も沸いている。

 中入りの時に、何人かのお客さんが「すごい良いね。」とか「落語会開いてくれてありがとう。」などと声を掛けてくれて、もういちど落語会開催を実感する。控え室では歌之助師匠が膝隠しを取り出して、その脇でそうばさんが「あれ、やるんですね?」とうなずいている。ピンときた。あれをやるんだ!僕の最も好きなネタ。

最期は『くっしゃみ講釈』。講釈師に遺恨を抱いた男が唐辛子をもって報復を図る噺である。

膝隠しはこのネタには必須なのだ。会場は一体となって、フィナーレに突き進む。腹を抱えて大笑いしているお客さんや、泣き笑いしているお客さんがいる。

 あぁ、いいなあ。不覚にも少し涙がこぼれた。これこれ、これを小豆島でやりたかったんだ。

歌之助師匠が高座を下り、第1回小豆寄席はこうして拍手喝采のうちに幕を閉じた。




蒲 敏樹
1978年岐阜生まれ、2010年より小豆島。
波花堂塩屋&猟師&百姓。

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