僕と落語 -2/蒲敏樹

 笑点の司会者歌丸さんが引退して、6代目司会者に春風亭昇太さんが就任するニュースを聞いたのは、5月22日の夕刻、馬木の旅館千鳥の前に停めた車の中だった。

そのニュースを伝えてくれたのは、千鳥の玄関から慌てて車の後部座席に乗り込んできた桂そうばさん。その隣には桂歌之助師匠が「ほーぅ。」と呟きながら座っていた。

この日は15時から「第1回小豆寄席」と銘打った小豆島初の落語会を開催し、僕たちは師匠と一緒に打ち上げに向かう途中であった。

 今年、年が明けてすぐ桂歌之助師匠に、壷井栄文学館謹製の原稿用紙を使って、僕は手紙を書いた。内容は、小豆島で初めて開く落語会での公演依頼。慣れない筆ペンで文章を書くという事と、師匠に何としてでも依頼を受けてほしいという緊張感から、筆先は乱れに乱れ、なんとも野太い正月の書初めのような手紙が出来上がった。

うめいている僕のそばで、かみさんが反故にした手紙の文字を見ながらにやけている。そして数日後、手紙は投函された。

 歌之助師匠から返事が返ってきたのは、それから2週間ほども経った頃だった。

今日、寄席当日に始めてお会いした師匠は、こう言っていた。

「事務所へ毎日顔を出すわけやないし、たまたま行ったら手紙来てますよ、って。小豆島から? いやー、知り合いもおらんし、公演依頼って、誰か別の人と間違ごうてるんやないかー?って思ったんですよ。」

実際過去にも、関東の似たような名前の噺家さんと間違えて公演依頼があり、主催者が気付いて既に予定を入れていた師匠の予定がキャンセルされた事があるそうだ。

師匠は何度も宛先と自分の名前を確かめて首をひねったという。

 ともあれ、僕のところに師匠から承諾と、開催日の候補を記したメールが届いた。

ちなみに僕とかみさんには約束事というか「突発的な儀式」があって、めでたい事があると向かい合って万歳三唱をする。

この日メールを読んだあと、二人で「儀式」を行なったのは言うまでもない。

 さて、師匠に提示してもらった開催予定日だが、こちらからの指定もあって5月中旬から6月初旬の週末で、師匠の予定の空いている日が並べてあった。7日ほど候補がある中であれやこれや言いながら選んだのが5月22日、日曜日だった。

田植えも終わり、僕らの仕事もちょっと落ち着いた頃でという事で即日師匠に開催日決定の返信をした。

この日の晩酌はとてつもなく旨かった。

 衝撃は翌日の、やはり晩酌の途中に襲ってきた。

愛飲の純米パック酒を猪口に注いでいると、かみさんがなにげなく言う。

「そういえば、寄席のその頃ってオリーブマラソンがあったよね。」

ん? 猪口の酒をぐっと飲み干して、再び注ぐ。いやいやいやいや、んー!?

 オリーブマラソンは5000人以上の島内外のランナーが出場する、小豆島最大のスポーツイベントである。

傍らのスマートフォンでオリーブマラソンの日程を検索する。

小豆寄席と決めた日は、オリーブマラソンの日でした。

 僕とかみさんの間で激論が交わされた。

「もう日程押さえてもらったし、一度決めた日程を覆したくない。考えようによってはマラソン走る人も来てくれる。」という僕と、「せっかく寄席するのに敢えてそんな大きなイベントの日にぶつける事はない。日程変えるべきや。」というかみさんの意見は平行線をたどる。が、その激論の末、小豆寄席開催日は5月22日で確定する。

 僕の亭主関白ぶりが遺憾なく発揮された……わけでもなく、かみさんが僕の頑固さ加減に匙を投げただけである。

 さて、小豆寄席がどんなであったかは、次回ご案内いたします。




蒲 敏樹
1978年岐阜生まれ、2010年より小豆島。
波花堂塩屋&猟師&百姓。

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