庭先養鶏はじめました6/よしのももこ

原稿に手をつけたいのにつけられない…とぐずぐずしているうちに、連れ合いと私は卵売りの中年夫婦になっていました。中年夫婦は元からですが、気付けば我が家には毎日産みたての卵がずらっと並んでいます。これがまたとてつもなくおいしい! 何もかけない半熟目玉焼きが、それだけでごちそうです。卵かけご飯って、醤油じゃなくて塩をふるとおいしいことに気が付きました。自分たちが楽しむだけでなく、少しずつ島の方々にも販売できていて、喜んでもらっています。屋号は、旧約聖書に出てくる、あらゆる貸し借りや所有がチャラになる“ヨベルの年”からつけました(その話はまたそのうち)。

2017年9月24日、166日齢になったブラックちゃんの中の1羽がはじめての卵を産むまでの道のりは、歩みを止めて引き返さざるを得ないような深刻なトラブルもなく、本当に恵まれていました。離島に住んでいる今は、釘ひとつ買うのでもこれまでのようにホームセンターを何カ所も巡って価格を比べたりできないし、足りない物があったからといって思い立った時にひょいっと買いに行けるわけではありません。さらに、通販しようにも「※離島は除きます」の壁が立ちはだかります。なにしろ最初に建てた三匹のこぶたの掘っ立て小屋とは規模が違うので、素人がイチから材料を集めるにはいったい何からどうすりゃいいのか、見当もつきません。が、途方に暮れていた私たちの前に「廃材があるから使っていいよ」と声をかけてくれる優しい人が次々にあらわれ、鶏舎長が年明けに一度、車をフェリーに乗せて岡山のホームセンターめぐりに行っただけで何とかなってしまいました。

ほかにも小屋の構造上のアドバイスをもらえたり、雛の保温用にもう使わない毛布や布団を譲ってもらったり、餌付け用のくず玄米を分けてもらったり…改めてこうして書き出してみると、「鶏を飼うって聞いたんだけど!」と声をかけてくれる人たちの親切がなかったら、今も鶏舎すら建っていなくて、私たちはまだ単なる中年夫婦だったんじゃないかとすら思えるほどです。

とはいえ、無事に鶏舎が完成して実際に雛を飼い始めてからのことは完全に未知の世界。小さな事件はいろいろありました。例えば10日齢くらいの頃は、せっかくヒヨコ電球で暖めている寝室があるのに、夜になってもそっちに入らず運動場でかたまってピイピイふるえている日が続いて、どうしたもんかと気をもみました。結局、鶏舎長が夜の闇の中を鶏舎に通ってヒヨコたちを寝室にポンポン投げ入れる、という割と雑な対処法でどうにか乗り切りました。5月に入り、雛たちが23日齢になった日に育雛箱(鶏舎内にしつらえたヒヨコ部屋)のふたを取り払ってからも、日が暮れると鶏舎の真ん中の柱の周りなどにかたまってしまっていることが多く、鶏舎長の夜の見回りは続きました。

前回も書きましたが、45日齢くらいになっても一向に止まり木を使おうとせず、地べたで眠りつづけるブラックちゃんたちと鶏舎長の根比べが続いていた中で、75日齢を迎えた6月末には、とうとう朝の見回り時に死んでいる雛を発見するという悲しい事件が起きてしまったわけです。さらにその10日後にも、もう1羽。雛が全羽無事に成長する確率なんて、宇野から乗った船の中で知っている人にひとりも会わないくらいの低確率だとわかっていたはずなのに、亡骸を手に帰宅した鶏舎長がどんよりと落ち込んでいたのも前回書いた通りです。それでも、雛たちはやはり時期が来れば必要なことを勝手に身につけていくんですね。80日齢を超えたあたりから止まり木や梁に乗り始める雛がポツポツとあらわれ、ちょうど90日齢を迎えた7月10日には全羽が梁と止まり木と産卵箱の上で寝ているのが確認でき、地べたで寝る習慣から無事卒業したのでした。

現在(2018年1月上旬)は、仲間のお尻をつついて羽をむしる非行に走る鶏がいることが一番の気がかりです。この“尻つつき”については、以前断嘴(だんし)について書いた時にも少し触れましたが、自然養鶏をやる上で避けて通れない問題です。ある程度想定していたことだけれど、やはり実際に起きてみると悩ましい。床の発酵状態、鶏舎内の寒さなど、原因として考えられる点に対策を施しながら様子を見守っているところです。新人養鶏家にとっては細かいトラブルのすべてがほんとうに貴重な経験なので、一つひとつ真っ正面から向き合うことが今後の歩みの糧となります。

とにかく、今日も鶏たちは元気です。雛を取り寄せたときの説明文に「人なつっこくて食欲旺盛」と書いてありましたが、まったくもってその通り。鶏舎に入るとグワグワ言いながら近寄ってきて、私たちの足をツンツンつっついてきたり、背中に乗ってきたり、顔をのぞき込んできたり。人なつっこいにもほどガール!! 何なんですかこのかわゆさは!! もっとなんかドライなつき合いを想定してたのに、このままでは最後に絞めるのがつらくなってしまう…と、事務・広報担当の私ですらこのありさまなので、鶏の世話をメインで担当している鶏舎長の溺愛っぷりは輪をかけてすごいものがあり、数日に一度は台所で皿かなんか洗ってる私に向かってでっかい声で、

「わし、鶏の世話好っきゃ〜…羽数減っても鶏の世話は一生する思うわ〜!!!」

と言ってきます。しかも毎回、たった今それに気付いたかのような新鮮な感動のこもった言い方で。でも、鶏舎長が事ある毎にその感動を声に出して言いたくなる気持ち、わかるんです。

東京で暮らしていた数年前、夫婦でいろんな話をする中で「言われなくても喜んでやってしまうような、誰かに『やめなさい』って止められてもやめられないくらい夢中でやってしまうような、やるのが1ミリも苦じゃないこと。しかも“趣味”じゃないこと、って、ある?」という話をよくしていました。でも、まちの暮らしの中で、頭でいくら考えても、これからの生活の中心に据えるべき“そのこと”はとらえきれなかったのです。それが、この島での日々の実践の中でバシッと体感できたわけですから、そりゃ感動しますよね。だから私も毎回飽きもせず、「うんうん。そう思えるものがあって、ほんと良かったね!」って答えます。本当に大切な実感は、声に出して何度でも分かち合うのが重要なような気がするのです。

(2018/01/18 掲載)



よしのももこ
1974年東京多摩地区生まれ。2016年より豊島在住。
2017年春から夫婦で養鶏と卵売り。一児の母。

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