庭先養鶏はじめました4/よしのももこ

前回の原稿を書き終えた時点では、真夜中に鬨の声をあげるオス鶏の扱いについて私たちが初めて味わった葛藤について書くつもりでいました。でも、ものごとが人間の“つもり”の範囲内で進むなんてことはまずなくて、だいたいは予期せぬ方向に転がり転がりしつつ毎日新しい朝を与えられて、ふと気づいた時にはついこの前の“つもり”がまるで見当はずれになっているものです。

3月に入り、雛を迎える準備に全力で取り組んでいたらあっという間に時が経ち、さらに4月になって63羽のヒヨコたちとの暮らしがスタートしてからも怒濤のごとき勢いで月日は流れ、今ではヒヨコたちも生後4週間目に入りました。なんと、いつの間にやら私たちは“脱・エア鶏飼い”を果たしていたのです。なんてこった。現実ってすごい。なので、この連載も目線をガサッとリアルタイム寄りに移動して書いていくことにします。

新米鶏飼い家族の1日は朝の見回りから。たいていの日は、6時半すぎに朝ごはんの支度を終えた鶏舎長(夫)が家から少し離れたところにある鶏舎へと向かい、雛がみんな無事かどうか、金網が破られたりしていないかなどをチェックして、自家製の発酵飼料をあげ、新鮮な水に取り替えます。その間にのろのろと起き出した私がせがれの朝ごはんと身支度を見守りつつ、猫と烏骨鶏に餌をあげて給水器の水を替え、学校に向かうせがれを送り出す頃に鶏舎長が戻ってくる、という分業体制が確立しつつあるのですが、今はまだ幼雛期(〜生後30日)なので、これからもっと雛たちが成長したら1日の作業時間などもまた変わってくるはずです。

雛たちは、鶏舎の中に設置した育雛箱(いくすうばこ:100×180センチの木枠に金網張りのフタを取り付けたもの)の中で毎日よく食べよく走り、すくすくと成長してきました。生後2週間を過ぎたあたりから、餌や緑餌(雑草)をあげるために育雛箱のフタを開けると高さ30センチの壁を飛び越えて外に出るチャレンジャーもあらわれ、日を追うごとに1羽また1羽と後に続き、ここ数日は鶏舎の中をあちこち冒険して回るようになって来ていました。育雛箱のサイズには収まりきらないエネルギーをひしひしと感じるようになったので、今日はいよいよフタを撤去することに。お昼の見回りの時、いつものように私と鶏舎長が鶏舎の中へ入って声をかけると「ピイピイピイ!(訳:わー!雑草の人だー!)」「ピイピイピイピイピイ!(訳:はやくー!はやく草ちょうだーい)」と大騒ぎの雛たちでしたが、フタをガパッと取り外した瞬間に打ち上げ花火のごとく外へと飛び出して、あっという間に育雛箱の中は慎重派の5羽を残すのみとなりました。

1か月前から、山の枯れ葉や知り合いのおじさんから譲ってもらった稲わらをたっぷり敷き詰めてふかふかにしておいた鶏舎の床をあっちこっち駆け回り、いっちょまえに足を掻いて床をかき回しては虫や土や雑草をついばむ雛たち。私たちは、この姿を見たいがために庭先養鶏にチャレンジしようと決めたと言っても過言ではありません。

養鶏に関する本を読んで初めて知ったことはたくさんありましたが、その中でも衝撃的だったことの一つが“断嘴”でした。初めて目にしたこの単語、読み方は“だんし”で、くちばし(嘴)の先を切ってしまうことです(ちなみに、鶏舎長に断嘴の話をすると、うろ覚えすぎてまったく似ていない談志のモノマネを必ず挟んでくるので要注意)。養鶏業界では、生後1週間ほどで雛の断嘴をするのが当たり前なんだそうで、その理由は鶏が仲間のお尻をつつくのを防ぐためだといいます。でも、そもそも尻つつきが出てしまう原因は狭いケージに閉じこめられて自由にいろんなものをつついて回れないとか、飼育環境が良くないことによるストレスだったりするようで、そっちを解決するんじゃなくて鶏のくちばし片っ端から切っちゃえ! っていう横暴っぷりに憤りを感じました。

断嘴によって鋭いくちばしを失った鶏は生涯、地面の虫をつついたり、かたいものをついばんだりすることができなくなってしまいます。いろんなものをつっつき回るのが大好きな鶏たちから、その楽しみを奪ってしまうことになるのです。鶏がそんな目にあっているとはまったく知らないまま、私は今まで卵や鶏肉を食べていたんだと思うとショックでした。だったら自分たちで鶏を飼って、断嘴なんかしなくても仲間のお尻をつつかなくて済むような環境で鶏らしく育てたい。それでも尻つつきをしてしまう鶏がいたとしても、庭先小羽数養鶏なら1羽1羽個別に対処することができます。

平飼いだの開放鶏舎だのと言ったところで人為的にこしらえた環境に鶏を押し込めることには変わりなく、しかもせっかく産んだ卵を拝借するわ、こちらの都合で殺して肉として食べるわ、どんな飼い方をしようが鶏からしたらかなり横暴な話です。だからこそ、できるだけ鶏の本能や能力を損なわずに暮らして欲しい。でなけりゃフェアじゃない。そのために手抜きや反則をせず、しっかりと手間をかけて鶏の世話をしようと心に決めたのでした。

そういうわけで庭先養鶏を始めるにあたって、断嘴される前の生まれてまもない雛(初生雛)を取り寄せることにしたのですが、何しろ生き物を荷物として送ってもらった経験などありませんからわからないことだらけ。夫婦でいろいろ比較検討した結果、静岡の孵卵場から送ってもらうことになりましたが、離島までは配達できないということで岡山まで受け取りに行きました。トラックで運ばれて来る間にかなり弱ってしまうんじゃないか…雛たちがみんなグッタリしていたらどうしよう…と心配しながら運送会社の営業所へ向かった私たち。窓口で荷物の受け取りに来たことを告げると、係の人が奥から小ぶりのダンボール箱を抱えて持って来てくれたのですが、その箱が遠くからでも聞こえるレベルのピヨピヨ音を発し続けていて、何ともシュールなことになっていました。いや、予想より元気そうで何よりなんですけど…道行く人たちがこっちを二度見三度見していてちょいと恥ずかしいよ…などと言いつつピヨピヨ箱を抱えて大急ぎで港に戻り、そのままフェリーに乗り込み(客室には持って入るなよ〜と言われました。そりゃそうだ)、数十分の船旅を経てついに豊島上陸! 相変わらずピヨピヨいってる箱を急いで車に積み込み、お昼過ぎには無事に鶏舎へ到着しました。

「長旅おつかれさ〜ん!」「よく頑張った!」「もうすぐ出してあげるからね〜!」などと、ダンボール箱に向かって全力で呼びかけながらふたを開けてみると…そこには“くちばしと羽と尻尾っぽい何かがちょこんと飛び出したぼた餅”といったルックスの小さな生き物がぎゅうぎゅう詰め! かっ、かわええええ!! 越後屋、おぬしもワルよのう!!! と、私たちの興奮も最高潮に達します。おしくらまんじゅう状態の箱の中、お互いの体温であたため合いながらここまでやってきたヒヨコちゃんたちですが、寒さに対する抵抗力をつけてもらうために開封後20分くらいしっかり外気にさらすべしと中島正さんの本に書いてあるので、そのまましばし放置。頃合いを見計らって、1羽ずつ数えながら育雛箱の奥の寝室に放り込んでいきました。

育雛スタート時、育雛箱の寝室と運動場は布のれんで仕切ってあって寝室の方を電球で24時間保温していました。雛たちは数日間寝室からなかなか出ようとしないと養鶏の本には書いてあったのですが、何と初日からのれんをくぐって勢いよく運動場に駆け出してくる子が続出。餌付けのクズ玄米にもガツガツと群がってものすごい勢いでつつき回しているし…何かもっと弱々しい生き物を想像していたのに全然イメージと違う! 全身が真っ黒い品種なのもあって、生まれた翌日にしてカラス的な凄みさえ感じさせていた雛たちの勢いはその後も衰えることなく、しっかりした羽が生え、首が長くなり、飛行距離が長くなり…と、日に日に大きくなって今に至ります。

あと数日で幼雛期を終えて中雛期(70日齢くらいまで)に入る雛たちがまたどんな成長を見せてくれるのか楽しみです。初心者の私たちにとっては、きっと予期せぬ出来事の連続になるのだろうし、いいことばかりじゃないかもしれないけれど、与えられる経験をひとつひとつ喜びをもって味わっていきたいです。卵屋さんになろう、食肉販売業をやろうということで始めたのではなく、まずは鶏を鶏としてきちんと扱いたい。そうやって健康に育った鶏が産んだ卵を食卓に載せたいというところからスタートしていることを忘れずに、迷ったときは必ずそこに立ち返るべし。「3人家族の現代的な生活を成り立たせるには現金収入がいくら必要か!」という計算をすれば真っ先に却下されてしまうような試みですが、それを許されている今に感謝します。

(2017/05/23 掲載)


よしのももこ
1974年東京多摩地区生まれ。2016年より豊島在住。
2017年春から夫婦で養鶏と卵売り。一児の母。

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