庭先養鶏はじめました2/よしのももこ

むかしむかし、画面を触っても操作できない携帯電話機しかなかった頃。人々が携帯の小さな数字キーをチマチマと器用に押しながらゲームに興じていた時代がありました。

携帯アプリ自体ほとんど使うことのなかった私でしたが、長い通勤時間の暇つぶしにダウンロードした“隣の部屋の魔王”というロールプレイングゲームの中で、迷路に置いてある宝箱を開けると出てきた“捨てられない石”(以下、“石”)というアイテムのことを今でもときどき思い出します。それを持つことで死んでしまうとか体力が減るといった直接のダメージはないものの、何の役にも立たず、一度持ってしまったら何をどうやっても捨てられないというだけのアイテム。自分が操作しているゲームの主人公が持てるアイテムは最大5個だったか7個だったか忘れましたがとにかく上限があるのですが、「この宝箱には便利なアイテムが入っているかもしれない…」と思うと素通りはできず、欲に負けて宝箱を開け続けているうちに持ち物は“石”だらけになっていて、欲しかったアイテムが出ても泣く泣くあきらめなくてはならなくなったりします。

自分のいる場所に“処理できないもの”がどんどんどんどん溜まって身動きがとれなくなっていくイメージに対するほんのりとした恐怖心が以前からあった私にとって、その恐怖をそのままあらわしているような“石”の設定は強い印象を残すものでした。

自分の力でサッと処理できないもの。それを所有し続けるには、置き場所を確保したりいつでも使える状態にしておくために管理し続けるお金やエネルギーが必要で、壊れてしまったら修理するのにもやっぱりお金やエネルギーが必要で、もしも直せなければそれはただの厄介な物体(ゴミ)として地上に溜まっていく一方です。“石”的なものはそのもの自体の重さだけじゃなくいろいろな意味で重石となって、持っている人から身軽さを奪い、ほんとうに必要なものを置くためのスペースをもじわじわと奪っていく。もちろん維持・管理が得意だったり、そのためのお金やエネルギーの調達を苦もなくできる人はきっとたくさんいて、その人たちにとっては恐ろしくも何ともないただの軽石なんだと思うんですが、私や連れ合いは確実に維持・管理・資金調達の能力には恵まれていない。だから自分たちの力で処理できないものにはなるべく頼らないように、例外を減らしていかないといい加減まずいだろ…と、長年ぬるま湯に浸かりきってきた私たちの尻にも、ここ数年で火がついたのです。

ものを単にポイして自分の見えるところからなくなればいいわけじゃなくて、処理しきれるかどうか(例えば微生物が分解しきってくれるとか、プラスチックなら石油に戻すとか、長いあいだ現役で使い続けるとか)が問題で、ふと見回すと自分たちが“処理しきれないもの”に囲まれて暮らしながら結構な勢いでそれに頼っていることに気づく→尻に点火。そんな流れの中に、今回の島への移住もありました。今までやらかして来たことをなかったことにはできないけど、せめてこれからは手に負えないものに依存しない。依存しないためには極力手を出さない。それは別に全人類共通の正義というわけじゃなく、単に私たち夫婦がポンコツすぎるのでそのくらいシビアに線を引かないともうもたないのです。そういうわけで、前置きが長すぎてもう誰も読んでないかもしれませんが、移住後すぐに連れ合いがとりかかった畑の開墾・畝立ては耕運機を使わずにやることにしました。

まずは、びっしり生い茂ったセイタカアワダチソウなどの雑草を刈払機で片っ端から刈っていきます。刈払機クラスの機械ならポンコツ夫婦にも維持管理できるだろうという判断です。エンジン音がうるさいので早朝は作業できず、真昼は暑すぎて動けず、よけてもよけてもごろごろ浮き上がってくる石で刃が欠けまくる…という悪条件にもかかわらず3日で3か所の草刈りを一気に終えるあたり、さすが1年間の農業研修で草を刈りまくってきた男! いよっ、大統領! 続いて、刈った草をアメリカンレーキ(土をならしたりもできるごっつい熊手)で集めて草積み場にどんどん積み、石をアメリカンレーキと手で隅によけてから、ひもと棒を使って測量します。畑全体の幅と長さを測り、立てる畝の数と長さを計算して、畝ゾーンと通路ゾーンをひもで区切る。そして三本鍬を使って通路ゾーンの土を畝ゾーンに盛る。盛った土をアメリカンレーキでならし、石が浮き出てきたらその都度よける…。ただでさえ気が遠くなるくらい地道な作業に加えて、草枯らし(土地の人は除草剤をこう呼ぶ)の連用と日照り続きでカチカチになった土を畝に仕立てていくのはかなりの重労働。大雨が降ったら降ったで、ごっつい粘土質の土が農具に重たくまとわりついて、連れ合いの肩や腰にはみっしりと疲労が蓄積していきます。

それでも毎日、日の出とともに動き出して昼過ぎまでもくもくと働き、昼ご飯を食べに戻ってきて、食後に小一時間昼寝をしてからまた畑に向かい、日が沈むまで働く連れ合い。隣のおばちゃんは、今でも私に会うと毎回「あんたんとこのダンナさん、ほんまようやったなあ。」と誉めてくれます。近所のおっちゃんたちも見かねて、「耕運機使え! 死ぬど!!」と何度も声をかけてくれました。小型のショベルカーで乗り付けて、空き地の一角を掘り返してくれたおっちゃんもいました。言葉は荒っぽいのになぜか母性さえ感じさせるおっちゃんたちの気遣い。みんないい人だなあ。ほんとにありがたいね!!

と、感謝しつつも結局最後まで耕運機は使わず(すいません)2週間で無事に畝立てを終え、9月2日にニンジンとソバの種をまくことができました。ソバはやせ地でも育つと聞いていたので、どの程度のやせっぷりでもいけるのか確かめるべく肥料も腐葉土も一切入れずにただただ種をばらまいてみたら4日目に一斉に芽を出し、ほっといてもぐんぐん育っていきました。ソバすごい。ニンジンは、長野の友人夫妻から前の年にもらった自家採取の種(生死不明)と、買っておいた固定種の種を4畝分まきました。ニンジンは発芽までがとにかく難しくて、「赤子泣いても乾かすな」を合い言葉に全力で世話しなくてはなりません。私が「朝たくさん水あげたんだから、まだいいんじゃないの?」と言っても、連れ合いは「いや、アフガニスタン(ニンジンの原産地)の湿地帯に近づけてやらなあかんねん!」と言い放ち、水やりの手をゆるめません。いやいやアナタ、行ったことある国アメリカだけ! アフガニスタンの湿地帯見たことないです!! でもなんだかんだでアフガニスタン化はうまいこといったようで、5日目にはニンジンも小さな芽を出したのでした。

だいたい何日あればどのくらいの広さの開墾・畝立てができるのか(人力で)という目安もでき、「さーてこれからもっと畝を増やして、どんどん種まくど〜!」と、完全に農耕モードになっていた連れ合いが近くの海辺を散歩していたある日のこと、ばったり出くわした島のおっちゃん(小型ショベルの人)が一言、

「ワシが飼うとる烏骨鶏な、あれもう大変やから、おまえ飼え!」

わーお。「鶏は来年の春からだね〜」なんて言って完全に油断していた私たちに神様は烏骨鶏たちを遣わして、「ぶっつけ本番で大きな鶏舎を建てるような無謀なまねをしてはならない。まずは庭に小さな小屋を建ててみなさい。」というメッセージを伝えてくださったのです。その日から連れ合いは小屋普請モードになりました。急だなあ…。

(2017/02/18 掲載)


よしのももこ
1974年東京多摩地区生まれ。2016年より豊島在住。
2017年春から夫婦で養鶏と卵売り。一児の母。

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