ブーマさん/ Nemu Kienzle

 スイスへ移住したときに初めて借りたアパートに住み続けてかれこれ12年。その間にうち以外の5戸は全て新しい住民に入れ替わりました。建物は三階建て、わたし達が住んでいるアパートは三階。引っ越してきた時、一番初めに会ったのが真下に住んでいるバウマンさんというスイス人のおじいさんでした。スイス訛りでバウマンはブーマと言うので、ブーマさんと呼んでいました。

 ブーマさんは1958年に建物が完成した時から管理人としてここに住んでいました。出会った当時、ブーマさんは77歳で一人暮らしをしていました。一人娘は結婚して出て行き、自宅で長年介護していた奥さんは亡くなったばかりでした。ブーマさんのアパートはいつも綺麗に整頓されていて、奥さんが寝たきりになってから、掃除、洗濯、料理まで家事は全て自分でしていた、というのもうなずけました。

 ブーマさんは難聴で、いつもイヤホンで大音量でテレビを見ていました。たまにイヤホンをテレビにつなぐのを忘れ、大音量でテレビを見るので、上階のうちではラジオを聞いているようでした。その代わり、うちでどんなに大きな音で音楽を聴いても、ドタドタ歩いても怒られないので気軽に暮らすことができました。ブーマさんと話すときは気をつけて大声で話していましたが、ある日「そんな大声で話さなくても良い。補聴器しているんだから」と言われてズッコケたこともありました。時々、気が向いたときに補聴器をしているようでした。

 旦那ピーターはよくブーマさんの服装をほめていました。ウチにいるときも近所のスーパーに買い物に行く時も、アイロンのかかったシャツにチョッキ、コーデュロイのズボンに深みどり色のソフトハットをかぶり、買い物カゴは編みカゴでした。スーパーや道端ですれちがうと、その帽子をひょいと軽く持ち上げてお辞儀をしてくれました。その瞬間だけ、時代が逆戻りした気分になりました。日曜日はブーマさんの一番楽しみにしている日でした。教会の礼拝で仲良しと会うことができるからです。テレビと新聞以外は大した趣味もなく、平凡で孤独な日々を送っているブーマさんにとって、教会で同年代の人と話すことはよっぽどの気分転換だったに違いありません。礼拝に行く為に正装しているブーマさんを見て、昔の人はお洒落だったんだなぁと思いました。そして教会の帰りにブーマさんが小柄で綺麗な老婦人と歩いているのを何回か見かけました。「あの人、ブーマさんのガールフレンド?!」と思っていましたが、いつもアパートの前で手を振って別れていたのでただのお友達だったのかもしれません。

 りりが養子に来る前は、ピーターもわたしも仕事が忙しくほとんどうちにいませんでした。そしてりりが養子としてスイスに初めて来た時、りりを紹介しにひさしぶりにブーマさんのアパートへ行きました。ドアをあけてりりを見たとたん、ブーマさんの顔がほころびました。「この子の名前は何ていうんだい?りり!どこの国から来たんだい?タイ?聞いたこともない国だけど、スイスに早く慣れるといいね」と終始笑顔が絶えませんでした。ブーマさんの娘さんには子供がいないので、りりを自分の孫のように可愛がってくれました。

 スイスにはクリスマス前にキリスト教の聖二クラウスという特別な日があり、サンタさんなる聖二クラウスが子供たちに小さいギフトをくばります。おもちゃをもらう子供もいれば、藁の袋にチョコレート、落花生、ミカンを混ぜいれたものをもらう子もいます。この袋はスーパーでセットで売っていたりします。その伝統を全く知らなかったわたしとピーターは、りりの初めての聖二クラウス日なのに何も準備しませんでした。その朝、幼稚園に行こうと玄関のドアを開けると、、、聖二クラウスからりりに藁の袋が置いてあったのです。カードには『りり、今年はとてもいい子でしたね。聖二クラウスより』と書いてありました。そのタイプしてある紙のフォントを見て、贈り主はブーマさんだとすぐ気づきました。なぜ分かったかというと、ブーマさんは伝言メッセージは全てこのフォントでタイプしているからです。(「先日、自分のアパートと間違えて、お宅のドアを無理やり開けようとしてしまい、泥棒だと勘違いしていたらすみません」とか「お宅がベランダの植物に水をやるとき、うちのベランダに干してある洗濯物に水がかかるので気をつけてください」などなど。)りりは藁の袋に入っているチョコレートを見て大喜び。りりを幼稚園へ送ったあと、ブーマさんにお礼をしに行きました。それから毎年、聖二クラウス日はブーマさんがそっと玄関に袋を置いてくれるようになりました。

 ブーマさんは歳をとり、階段を登るのにも時間がかかるようになりました。心配した娘さんが、ブーマさんを近所のシニアホームへ移しました。引っ越した日、ブーマさんはりりに毛糸で作ったミニチュアの花束を渡しました。ある日、りりがそのミニチュアの花束を宝箱から出して「これはブーマさんの思い出だからずっと大切に持っている」と言いました。その数日後が再びあの聖二クラウス日だったけれど、ブーマさんはもう引っ越していないし、わたしとピーターはすっかり藁の袋のことを忘れて何も準備しませんでした。ブーマさんの役を引き継げなくて申し訳ないと思っていた矢先、ブーマさんの娘さんからブーマさんが亡くなったお知らせが届きました。お悔やみの手紙に、ブーマさんがどんなにりりを可愛がってくれたか、ブーマさんのおかげで聖二クラウス日がりりにとって特別な日になったこと、などを綴りました。お葬式後、娘さんから返信が届き、ブーマさんがよく私たちのことを愉快に話していた、と書いてありました。もしかしたらブーマさんは私たちが「ガールフレンド?!」なんてチェックしていたことを気づいていて、内心楽しんでいたのかもしれません。




キンツレねむ
NYで知り合ったドイツ人と結婚してスイスに越してもう10年。職業はインテリアデザイナー。7年前にタイから養子に来たりりは、いつのまにかやんちゃでかっこいい小学校2年生。

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