家族になるまでの長い一日/Nemu Kienzle
娘のリリは8年前にタイからスイスのわたしたちのもとへ養子に来ました。今年で9歳になったリリは、チューリヒの公立小学校に通うやんちゃな3年生です。いまは元気いっぱいなリリですが、バンコクで初めて会った時は、生後16ヶ月で体重は7キロもない赤ん坊のように小さい幼児でした。
リリに会った日は今でも忘れられません。児童養護施設からリリの1日のスケジュールを書いた紙、粉ミルク、哺乳瓶、そしてベビーフードを渡され、あれよあれよという間に3人でタクシーに押しこまれました。そして、そのタクシーの中でいきなりわたしたちの新しい家族としての生活がはじまったのです。
ホテルに帰り、タクシーの中で眠ってしまったリリをそーっとベッドの上に乗せると、今までなんとも思っていなかったホテルのベットがとても大きく見えました。しばらくしてリリが起きて、ゆっくりとまわりを見回しました。いつもと全く違う場所に、さっき会ったばかりの言葉が通じない外人が二人だけ。今までお世話をしてくれた児童養護施設の先生方や、一緒に遊んでいた子供たちはどこにもいません。どんなにビックリしたことでしょう。リリは思った通り大泣きしました。だっこをしてぎゅーっと抱きしめたけれど、心が破裂してしまいそうなほど悲しい泣き声に、わたしも主人のピーターもつられて泣きました。
どれくらいリリは泣いていたのでしょうか。気がつくと外は真っ暗になっていて、バンコクの夜景がホテルの部屋を明るく照らしていました。汗でしめったベビー服を着替えさせたばかりなのに、また汗をかいています。あれ、おかしいな?と思っておでこに手をあてると、すぐにわかるほど熱がありました。慌ててホテルのボーイさんにタクシーを呼んでもらい、ホテルから一番近い病院まで飛ばしてもらいました。
病院のロビーは夜も遅かったからかガラガラで、すぐ当直のお医者さんに案内してもらいました。ピーターが「今日、養子に来たばかりでいま高熱がでた」と説明すると、マスクをした若い先生は「それでは今までの健康状態は何も把握していないんですね?」とあきれて首を横に振りました。診察後、「多分、急な環境の変化に反応してストレスで熱が出たんだと思います。解熱剤なしで数日様子を見ましょう」と言って、そのお医者さんはなぜかビタミン剤を処方してくれました。その間、看護婦さんが「今日はあなた、よくがんばったわね」と言って、診察台にちょこんと座っていたリリのベビー服にかわいいシールを貼ってくれました。そのとき、いままで無表情だったリリが、ぎゅっと結んでいた口元を緩めて「みてみて!」とでもいうように、わたしたちに笑顔を向けました。わたしとピーターは「やっと両親として認めてもらったのかもしれない!」と勝手に解釈して喜んだけれど、リリは「あたふたしているこの二人、おかしいったらありゃしない」なんて思っていただけかもしれません。
深夜過ぎにホテルに帰ってくると、再びわたしたち3人だけになってホッとした気分になりました。それから間もなくリリは深い眠りに落ち、スースー寝息をたてています。一方、わたしとピーターは一人の生命を授かった興奮と不安と喜びでなかなか眠ることができず、リリのお腹の上でそっと手をつないで、リリの寝顔をずっと眺めていました。
▲ 政府が運営する児童養護施設は清潔で設備が整っています
▲ ホテルの部屋から見た熱帯樹林
▲ リリに初めてごはんをあげるピーター、嬉しさがにじんでいます
▲ 病院でつけてもらったシール
キンツレねむ
NYで知り合ったドイツ人と結婚してスイスに越してもう10年。職業はインテリアデザイナー。7年前にタイから養子に来たりりは、いつのまにかやんちゃでかっこいい小学校2年生。
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