家出/Nemu Kienzle

 小学生の頃、東京世田谷区のマンションに住んでいました。ある日、母に怒られた妹がふてくされて、一澤帆布の赤いショルダーバックにお気に入りの小物やお人形をつめこみ、アパートを飛び出して行きました。母に「早く追っかけて!」と言われ、慌てて飛び出したものの、妹はすでに何処かへ行ってしまった後でした。「どっか行っちゃったー」なんて、のこのこアパートへ戻ると「ちゃんと連れて帰ってきなさい!」って怒られるに決まっているので、マンション入り口の郵便受けに行きました。その頃はインターネットもEメールもなく、文通が流行っていて、わたしは地方の女の子と文通をしていたので、郵便受けは毎日欠かさず覗いていました。おや、なんと!ふてくされてぷっくりほっぺたをふくらませている妹が、階段に座っているではないですか!夕焼けが差し込む階段にひとりでぽつんと座っている妹があまりにもかわいそうで、しばらくその哀愁が漂っている背中を後ろから見守っていました。すると、ポーチの中からごそごそとお人形を出して抱いたりしているので、ますます愛おしくなって「もも、一緒に帰ろうよ」と声をかけました。この世で頼れる人がお互いだけしかいないような気がして、なぜか心細く二人でうちに帰りました。宿題も終わってないのに長い間外出していたので、玄関のドアを開けた途端に「どこ行ってたの~!!」の一喝。その後、妹は何度かプチ家出をしたけれど、わたしは臆病な性格で一度も家出はしませんでした。

 子供の家出は保護者の愛を試していることもあり、怒られることをした言い訳や理由が子供にもあることを、保護者は理解しなければいけないのです。どんなに腹がたっていても、一方的に怒ってはいけないと自分に言い聞かせているのに、、、。妹が母に怒られた時と同じく、りりもわたしに怒られると「もうひとりで暮らす!」と言ってアパートを飛び出します。ついこのあいだも、わたしに怒られたりりはうちを飛び出して行ってしまいました。いままでは階段に座ってわたしが追いかけて来るのを待っていたのに、今回はどこにも見当たりません。慌ててアパートを出て、アパートの裏庭、隣のお花屋さん、バス停、学校の校庭、など思いつくところを見て回りました。たまたまスイスに来ていたわたしの父も、無言で一緒に探してくれました。日が暮れて暗くなってくると、誘拐されていたらどうしよう?という不安が募り、頭に血がのぼってボーッとしてきました。最後に通りがかったバス停のベンチに、りりがちょこんと座っていて、「探した?」なんて言ってくれたらどんなにいいのに、と思ったけれど、りりの姿は見えません。お隣のお花屋さん親子も捜査に参加してくれて、「りりちゃーん!」「りり~!」と、近所中に声が響き渡ります。

 警察に連絡するなら、もし家出や誘拐だったら早いに越したことはない。もう警察に電話しよう!と思いたったとき、隣のお花屋さんの娘さんのスミレちゃんが「りりちゃんいたよー!」と大きな声で知らせてくれました。その時の声ほど、心にジーンと響いたことはなかったと思う。一瞬体が熱くなって、それと同時に目頭も熱くなる。なんと、家出少女りりはアパートの裏庭にある一番高い木に登って、上からずっとこの騒ぎを見守っていたのです。「りり、降りておいで。ママが悪かった。だから降りてきて」といくら謝っても、木の枝に隠れてりりは全く降りてくる気配を見せません。しばらくして諦めかけてると、やっとごそごそと降りてきました。理由もきかないで一方的に怒ったわたしに、まだ腹をたてているのか、木から降りてきたりりは無表情のまま。

 家出から帰ってきた妹は、母の怒りが収まるのを待って、おそるおそるだけど母に甘えていました。母のまわりをうろうろしている妹を見て、本当は母に話しを聞いてもらって、ぎゅーっと抱きしめて欲しいんだなと思いました。そんな事を思い出しながら、わたしもりりの怒りが収まるのを静かに待ちました。「木の上から、スミレちゃんがりりのこと呼んでるの見えた?」「うん、見えた。」これからすこしづつ、りりバージョンの家出の一部始終が聞ける、、、。これに懲りて、もう喧嘩しても家出だけはしてほしくないと心から願うのでした。

 この一騒動で、日本から来ていた両親には心配をかけてしまい、申し訳ありませんでした。スイスの土産話として、お友達に語って頂ければ幸いです。




キンツレねむ
NYで知り合ったドイツ人と結婚してスイスに越してもう10年。職業はインテリアデザイナー。7年前にタイから養子に来たりりは、いつのまにかやんちゃでかっこいい小学校2年生。

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