小豆島「本」通信4「小豆島おさかな今昔」/ 田山直樹
週末にSUP(※1)で海沿いを進んでいると、砂浜や防波堤、磯、無人島(※2)など、海岸線の至る所で釣りをしている姿を見かける。
時には
「え、そこまでどうやって行ったんですか?」
というような絶壁で悠々と釣りを楽しむ猛者もいたりする。
老若男女問わず楽しんでいる姿を見ている内に、自分でも釣りをやってみたくなった。
そんなわけで、役場の釣り好きの先輩に教えてもらいながら釣りを始めてみたのだが、
これがまた、楽しい…。
何が楽しいのか。
それは、釣りという行為が内包する”戦略性”に気付いたからだ。
自分で実際に始めてみるまでは、釣りとは”技術”で釣るものだと思っていた。
狙うポイントへ正確に投げ込む腕前や、いかに上手にアワセるか(※3)など、魚を釣るための”技量”が最も重要なのだと勝手に思っていたのである。
ただ、実際にやってみると、もちろん技量も大事だが、それ以上に”戦略”すなわち
「狙う魚がどこにいるかを想像し、それに適した仕掛けを作る」事が重要だという事に気付いた。
・狙う魚
・仕掛け
・天候や時間帯
・潮の流れや海底の隆起
・場所
などなど、無数の選択肢の中から、知識と経験、想像力を駆使して、最適と思われる組み合わせを選んでいく。
そうした選択の結果が、釣果としてはっきり目の前に立ち現れる。
どれだけ技術を持っていても、場所選びなどを間違えてしまうと上手く釣れない。
そう、釣りとはゲームで例えるならシミュレーションゲームやRPG(※4)のような実に奥深い楽しみなのである。
やればやるほど奥深い釣り。
そして、周囲を海に囲まれているがゆえにどこでも釣りを楽しめる小豆島は、釣り人にとっては最高の環境なのかもしれない。
さて、今回はそんな小豆島での釣りや魚をめぐる本を紹介したい。
まずは、壺井栄の「瀬戸内の小魚たち」というエッセイ。
『二十四の瞳』などの小説や児童文学で有名な、小豆島を代表する作家の壺井栄。
彼女は、小説のみならず、エッセイも数多く書いていて、その多くで郷土である小豆島の思い出を時に美しく、時に切なく描いている。
そんなエッセイの一つ「瀬戸内の小魚たち」は、4年ぶりに小豆島へ帰省した栄が、そこで出される魚に舌鼓を打ちつつ、慣れ親しんだ魚の味や、当時の釣りの記憶を思い起こす短い文章だ。
その中で登場するベラとスズメダイ。
この2種は、初めて僕が釣りをしたときに釣れた魚でもあるのだが、それらに対しての壺井の記述が興味深いものだった。
僕が釣りをしていた時、一緒にいた先輩が言うには
「ベラは焼いても煮つけにしても美味しいよ。でも、スズメダイはあまり食べないかなぁ」
とのこと。
その時は先輩の言葉を聞いて、スズメダイはリリースしてしまったのだが、
壺井栄のエッセイでは、この評価が全く逆なのであった。
「瀬戸内の小魚たち」には、このように書いてある。
”大体瀬戸内の小魚は味がこまかくてうまいというのは定評だが、どうも小さいほどそれがはなはだしいように思う。小鰺(こあじ)だの、あい(魚+監)だの、「おせんころし」という鯛のような形をした、せいぜい五、六センチほどの小魚などは、いちいち料理する手間が惜しまれるほどのチビ魚だが、うまいという点では鯛にもまさると思うほどだ。
(中略)
昔ならバケツ一杯五銭ほどの小鰺やおせんころしを、焼きながらかたわらの酢醤油の丼の中にじゅんじゅんなげこみ、それを骨ごと片っぱしからたべる時のうまさは、海辺の村の住人の仕合せの一つであろう。”
(中略)
”そのみみずをえさにして昼間のうちにベラを釣りにいく。
ベラという魚は五色のうろこで身をかざっているような美しい小魚だが、これはまずい。
しかし、太刀魚のえさには欠くことができない。”
「おせんころし」というのは、スズメダイの別称である。
(名前の由来は「おせん」という女性がスズメダイを食べたところ、のどに骨が引っ掛かり亡くなってしまったことからだそう)
壺井栄の記述を読む限り、スズメダイはすごく美味しそうなのだが、別称の由来を知ると何だか食べるのが怖くもある。
美味しくない、と言われ敬遠されてしまうのは、小魚で身が少なく、骨も固いため食べずらいように思えるのと、イワシやサバを狙っているときにスズメダイが釣れてしまう事によるガッカリ感もあるのかもしれない。
ベラに関しては、煮つけも塩焼きも上品な白身の味を堪能出来て、とても美味しかった。
ただ、下ごしらえをする際に、ベラ特有の体のぬめりを取るのに苦労したので、そうした所から、壺井栄の時代は美味しくない魚、と思われていたのだろうか(※5)。
もう一つ紹介したい。
『随筆・小説小豆島』の中の「鰯網の思い出」に描かれる、イワシ漁が盛んだった頃の村の様子も興味深い。
瀬戸内といえば「いりこ」が有名だが、壺井栄の出身地の坂手村(現小豆島町坂手)では当時、そのいりこに使うイワシが主要産物の一つであった。
”大漁の時には沖からの声にも威勢が加わり、「みな焚けぇ」と叫ぶ。
窯の下をみな焚けという意味である。そう聞くといりや(いりこを作る家の事)は転手古舞(てんてこまい)で近所隣を総動員する。”
(中略)
漁の多かった時には道路の片端にも莚(むしろ)が並べられ、学校の運動場から校舎の屋根の上までいりこが干しひろげられた。”
壺井栄のエッセイを読んでいると、自分の知らない小豆島の景色が目の前に立ち現れてくる。
夕暮れが山々を赤く染める中、鰯を大量に積んだ漁船が村へ戻ってくる。
掛け声も勇ましく、一糸乱れぬ動きで櫓を操る男たちと、浜で窯に火を入れながら鰯の到着を待つ女たち。
船の到着と共に、活気に満ちた喧噪に包まれる浜のいりや。慌ただしく動き回りながらも、きっとみんなの顔には笑顔が浮かんでいるのだろう。
自分の今立っている場所で、今はないけれども、昔確かに存在した様々な出来事や人々の思い。
そして、時代を経ても変わらない美しい山並みと、穏やかな海。
自然が育む、たくさんの生き物たち。
そうした環境が今も残されている事をしっかりと噛み締めつつ、僕は今日も釣り糸を垂らす。
~追記~
本書で取り上げた壷井栄のみならず、尾崎放哉や黒島伝治など、小豆島に縁のある作家の電子書籍が「その船にのって」でも読めます。
一部無料のものもありますので、興味のある方はこの機会に是非ご一読下さい。
また、「瀬戸内の小魚たち」は青空文庫にて無料で読むことができます。
短いエッセイですらすらと読めるので、こちらも興味があれば読んでみて下さい!
※1 SUP:スタンドアップパドルの略。大きなサーフボードに乗って、パドルで漕いで進むマリンアクティビティ。とても楽しい。
※2 無人島で釣りをしている人は皆ボートなどで渡っているかと思いきや、渡し船で送ってもらう人も多いそう。遠く岡山から渡ってくる人もいるとか。前に見かけたおじさんは、お昼過ぎから夜までずっと無人島の岩場で釣りをしていた。釣りにかけるその情熱に感服。
※3 アワセ:魚がエサをくわえたら、サオを上げるなどして仕掛けを張り、魚の口にハリ(フック)を掛けること。
※4 RPG:ロールプレイングゲームの略。キャラクターを育てて技や装備を整え、敵を倒すゲーム。「ドラゴンクエスト」「ファイナルファンタジー」「ポケットモンスター」などが有名。ちなみに、釣りの腕前と戦略をポケモンで例えるなら、腕前のみで何とかしようというのは、「ものすごくレベル上げを頑張ったピカチュウ1匹でジムリーダーのタケシに挑む」ようなことなのである。
※5 そんなことを考えながら、ネットでベラについて調べてみると、「ベラは意外と美味しい」「ベラは下魚じゃない」「ベラは食べれる」などの記事がたくさん出てきたので、今もそう思っている人は多いのかもしれない。
*これまでの小豆島「本」通信はこちら
田山直樹
1990年鳥取生まれ、西日本育ち。丸善ジュンク堂書店で7年間勤務の後、2019年5月小豆島へ移住。本がないと生きていけない。現在地域おこし協力隊として働きつつ、書店開業の準備中。
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